2011年03月18日
浜松まつり中止と記念ワッペン

このことを書くのはとても難しい。
事実は「浜松まつり」の中止を市が決めて発表したこと、既に
浜松市のホームページにも掲載されている。
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/
町内の子供の誕生と健やかな成長を町内で祝う浜松まつり、生
まれてから五月の連休を子供の祭りとして過ごすこととしてい
た私たちに今年がなくなった。
もちろん東北地方太平洋沖地震を受けての自粛である。
今年は浜松市制100周年の年でもあり、参加ワッペンには祝浜松
市制100周年と印刷されていた。
このワッペン(参加証)も幻のものとなった。
多くは語るまいと連尺のBOSSと話す。
けれども浜松まつりは町内に生まれた子供を祝うために大人も
子供も働くまつりである。
「元気に健やかに育ってくれ」と隣人の子を祝うまつりである。
決して酒を飲んで騒いでいるわけではない。
子供たちのために大人が働くまつり、子供たちがそれを見て大
人がすべてきことを学ぶのも浜松まつりだ。
その気持ちだけは自粛はできず、なにか子供たちのためにして
あげたいと考えている。
2011年01月28日
浜松まつりガイドブック「法被写真」

一月も間もなく終わり、この季節になれば浜松っ子の”凧”こと
浜松まつりの準備が始ります。
今年は浜松まつりガイドブックに各町内の凧、屋台に加えて法被
が掲載されることになり、冊子を編集するSBSプロモーションか
ら組長を通じて法被写真の求めがありました。
我が町内「遠州浜町」は遠州灘を臨む浜松の南東端に位置する町
民一万人の大団地ではありますが、まだ今年で22年目の新参者と
して参加しています。
法被は大紋に「えん」の字、参加前年に公募し、地元江南中学の
生徒八田さんによるデザインが採用されました。
「え」と「ん」が一文字で表されています。
腰柄は遠州灘の波頭となっています。
浜松まつりは町内に誕生した子供を町内全員で祝うお祭りです。
今年の初祝いは七軒のお申し込みがあり、七枚の初凧を揚げる
予定です。
遠州浜町「え組」の特徴は初練参加者は全員が提灯を持ち、町内
法被に股引腹掛けに地下足袋と決め、整然と練りを進行し、ぐる
りと美しい練りを行います。
子供たちは大人の練りとは別に渦をつくり、初家様のご接待には
全員で感謝の言葉の後いただき、片付けも参加全員が参加します。
初練りの最後尾には婦人部らによる清掃担当がつき、初家様には
驚かれるほどのゴミひとつ残さない初練りが自慢です。
今年2年目となる鈴木利彦副組長(十代目)のもと初凧に初練り
を盛大かつ勇壮に行っています。
174町もの町内が参加する凧こと浜松まつり、今年も安全に楽しく
行えるよう準備が始っています。
2010年05月10日
南部会中央統一行動

「はじまりますね」と砂丘町の自治会長と隊列の最前列で話す。
「南部会出発!」
凧場の初凧揚げから引き上げた南部21町は4日の夕方に伝馬町
交差点に再び終結します。
4日の午前に凧場で行われた統一行動に続き、当番町の砂丘(すな
おか)が仕切る南部会中央統一行動がはじまります。
パレードが去った後、A群、B群に分かれた21町の隊列は伝馬町交
差点を曲り、鍛治町へ向い21人の組長が率いる最大の練りが始まり
ます。
21町のラッパと太鼓はビル群に響き渡り、ズシンズシンと空気を震
わせます。
21町ですから当番町となる時に現役でいても次の当番町ははるか
未来となります。

鍛治町通りは観客席もでき、多くの人が最大の練りを待っています。
その中を組長たちの列が道路の幅いっぱいに展開して進みます。
各町の旗の後ろには副組長列が続き、ラッパ、太鼓に続いて各町
の提灯を掲げた最大の練りが広い通りを埋めて進みます。
「浜松まつり、南部会、万歳!」
自町の凧印、揃いの法被のもと、自町のナショナリズムで働く男た
ちは、さらに大きな地域の会の一員として鍛治町通りを進むのです。
ヤマハの前まで進み、また整然と自町に戻るために隊列から抜け
てゆく各町の列は、また明日凧場で会おうと同じ会の他町に声を
掛け合うのです。
2010年05月10日
凧場にて

5月4日、凧揚げも2日目となった凧場には順風が吹く。
今日揚げる凧や道具を凧場の陣屋に運びこめば、初凧揚げまでは
今日の腕試し、組凧が準備されて凧揚げがはじまります。
陣屋の椅子に座って今日の風を見る組長の前で副組長以下の若い
衆が順に糸を持ち、風に乗って揚がる凧を楽しんでいる。
「おい、俺にもやらせろやぁ」
副組長振り返れば、そこには座っていたはずの組長が揚げ糸を奪っ
て立っている。

20年も組の糸先にいて凧を揚げてきた鈴木組長、組長になったとて
凧を揚げてはいけない法はない。
ついに我慢がならず、凧場へ出てきたのであります。
「それっ」と若いのもベテランも集まって組長を担ぎあげようとする。
結果は、長年こんなシチュエーションをこなしてきたベテランの勝ち。
遠州浜凧揚げ会は、毎年組長を大切に尊敬しつつ凧揚げを行います。
初子様がイチバン、組長ニバン、俺らは最後と心得て組長を担ぐので
あります。
2010年05月09日
連尺の子BOSS

凧場に長い法被は似合わない。股引腹掛けに地下足袋、尻切れの法被
が似合うのはそれが凧を揚げる仕事師の格好だからです。
連尺のBOSSこと哲ちゃんと毎年凧場で出会うのは、共に凧場の中央で
凧を揚げているから、今年も隣あって揚げることができました。
「哲ちゃん、あの子は目立つねぇ」
凧揚げの衆と一緒に「目は凧」に据えて空を見上げている少年がいた。
尻が出るほどの法被を着こなす姿だけで凧好きなのだとわかる。

「そうなんですよ、凧練習にも毎回来ているんです」
凧好きな少年はもう一人前の知識を持っている。
そして子供たちの凧揚げを見守る位置に立つ。
こういう「男」は凧場で最もカッコいいである。
連尺を背負う男になる。それは立ち位置だけでもわかるのです。
2010年05月09日
ヨーイドン

凧揚げの初日、3日は早朝から各町の初凧が揚がっていますが、
11時前になると放送で「凧をおろしなさい」と指示されます。
浜松まつり凧揚げの開会式は、本部の上で市長(浜松まつり会長)
が開会宣言をすることで始まります。
11時のその宣言に合わせて準備した174町の凧が一斉に舞い上げる
ことを「ヨーイドン」と言います。

174町が同時に同じ風向きに凧を並べ、糸を曳いていますから、凧場
の中はこんなに揚げ糸が錯綜しています。
この混雑の中でなんとか我が町の凧を揚げようと各町は努力します。

新聞や報道でもおなじみの「ヨーイドン」の一斉凧揚げは、本来は市長
の宣言以後に揚げるものですが、そこは勢いのある凧のこと、フライング
ぎみに、どこかが舞い上げれば一斉に続く。
空を席捲する町の凧はどこか。
わが町は一瞬で混雑する空を制して揚がっていきました。
2010年05月09日
大空の初凧

まつり前までは糸目付で初凧を見ていても、やはり凧は空高く揚がって
こそ、初凧は空に透かしてこそ美しいものです。
初凧は右肩に家紋が入り、左下の扇面に初子様の名前が入り、ひと目
で初凧と知ることができます。
まずは近くを舞う凧を、そしてどの凧より高く糸を伸ばして高い空に初凧
が舞い上がります。

青年たちが初子様を抱いた初家様を担ぎあげます。
ラッパ太鼓が鳴り響き、万歳がはじまります。
わが子の凧は高く高く舞い上がり、まさに「目は凧に」、凧は空を高く舞う
もの、強く高く健やかに元気よく。
初凧への願いはわが子への期待そのものとなります。
万歳!町内全員が祝う初子様、いつか青年となって今度は凧を揚げる
側で活躍してください。
2010年05月09日
ガラ(糸巻き)

凧にはさまざまな専門用語があり、初めて聞く方にはわかりにくい
ものもあります。
「やい!ガラ出せ」と言えば、揚げ糸を巻いた糸巻きから糸を繰り出す
こと、「ガラ巻け」と言えば揚げ糸を巻くこととなります。
そのガラに挿しておくのがガラ旗です。
凧場が混雑してくると、自町のガラがどこにあるのかわからなくなる
こともある。その為に目印ともなっているのです。

もちろんこの旗は風の強さや方向を見るためにも使われています。
ガラには300mも、それ以上もの揚げ糸が巻かれています。
この糸は麻でできた凧揚げ専用の糸で、各町で太い細いがないように
凧専用として凧揚げ本部から購入先が決められています。
凧揚げの時期になると、ガラに巻かれ、終了すれば外されて陰干しさ
れて来年を待つことになります。
2010年05月08日
いざ初凧揚げ

いざ初凧揚げ、ガラ(揚げ糸巻)から長く伸ばした揚げ糸に3~4人の
糸先担当がつき、互いの持つ糸の間を張ります。
凧に一番近い一番の担当が揚げ糸を持つ後続の男たちに合図を
送ります。
初凧の先端を風に向けて持ち上げる突き上げは一番と連携して凧
を下から支えるように構えます。
後ろには尾がスムーズに凧についてゆくように広げる担当がいます。

「いくぞっ」
一番が凧を曳き、突き上げが凧から手を離せば初凧が空を目指して
頭をあげていきます。
20m以上もある糸目がきれいに開いていきます。

糸目が開き、凧が風をはらめば一番の仕事は、最後にグイッと凧の
重さがかかった糸を一瞬さげて離す。
揚げ糸は2番、3番の手に託されて揚げ糸は凧にひきあげられていき
ます。
ラッパと太鼓が鳴り響き、全員の目は凧に向いています。
凧下の担当の男たちは尾が離れたら凧の下にいようと走り出します。
初凧が高く揚がることに全員が一つになる瞬間です。
2010年05月08日
わが子の凧

凧場内に陣取るわが町のガラ(揚げ糸巻)から伸ばした揚げ糸の先に
初凧は初家様と共に到着します。
凧場の初凧を前に初家様の記念写真を撮らせていただきます。
ご親戚やご自身もカメラをお持ちですが、他町も凧揚げ中、お互いに
邪魔にならぬよう、急いで組のカメラは写真を撮っています。
背より高いわが子の凧を見て期待が膨らむお父さん、お母さん、そし
ておじいちゃん、おばあちゃんも緊張の顔になっています。

174町の参加となり、決して広いとは言えない凧場の中は、他町の
揚げ糸が地面や空を交差しています。
アオ(緑の襷)をつけた副組長以上が、他町と調整して凧揚げ順を
決め、互いの凧を大切に揚げようと働きます。
空にも長く糸を曳く凧があがっています。
地上には次々と揚げようと糸が曳かれてきます。
風に合わせて縄の尾を調整し、長い糸目を広げ、いざ揚げる瞬間を
待っています。
誰もが祈るような気持ちで全力を出そうと身構えているのです。
2010年05月08日
初凧風通し

5月3日の朝、遠州浜凧揚会の面々は初凧風通しに挑戦します。
初家様の家紋を描き、扇面に初子様の名前を入れたまっさらな初凧
はなによりも大切にされ、一枚いちまいシートにくるまれています。
そのシートをはがし、張りを貼れば準備が終了、いよいよ初凧揚げに
向います。
会場の陣屋には初家様ご家族、ご親戚が集まり、初凧が初子様の
成長の勢いを表すのだと期待されています。

混みあった凧場の中、既に会場内で陣取るわが町のガラ(揚げ糸巻)
に向けて出発です。
上空には他町の凧が揚がり、足元には揚げ糸が這い、多くの人で
込み合う凧場の中へは、初凧の下に入って進みます。
「それでは初凧揚げに向います」
総監督が案内し、初子係が世話をしながら凧場を進みます。
全員が緊張の中、高く勢いよく揚げるぞと思う瞬間です。
2010年05月08日
風の暦、なお君の厚意

「プレゼントがあるんですよ」、凧がはじまる直前に浜北にあるウッディ
クラフトの「風の暦」のなお君から電話がかかった。
早速浜北市の中瀬にある工房を訪ねると、新しいレーザー彫刻機を
駆使してさまざまなオリジナル品を工夫中のなお君からいただいたの
は、箱根寄木細工のように見える小箱でした。
なお君のセンスと工夫と努力でさまざまな木札を制作中に、凧がはじ
まるからと技術を集めた小箱をいただいたのでした。
6面にそれぞれ彫加工された小箱の中には小さなLEDライトがつき、
彫りぬいた箱の内側から灯が透けている。
香炉のような、または鈴虫の音などが聞こえてきそうなステキな小箱
でした。
凧の夜の練りに早速使わせていただきました。

ウッディクラフト風の暦は大きなものはウッドデッキから、小さな木札ま
でオリジナル品をデザイン施工しています。
この大杯にはサンドブラストで彫刻いただきました。
木製の小物から大物?まで一緒に工夫して制作してくれる風の暦の
なお君と父親のあきさんに今後に期待しています。
風の暦:http://kazenokoyomi.hamazo.tv/
2010年05月08日
目は凧に

凧場でやることといったら唯一つ、自町の初凧や組凧を揚げることで
すが、凧男たちは「目は凧に」を実行しています。
凧場の中央で毎年凧を揚げる同士、連尺町の皆さんに今年も会いま
した。
連尺の皆さんも言うまでもなく「目は凧に」、凧揚げ中でした。
糸先の揚げ手はもちろん空に舞う多くの町の凧の交差してくる糸を
避けながら遠く高く揚げるようつとめますが、全員が凧を見上げてい
る様子こそが凧と呼ばれるまつりの基本です。

凧場は各町の糸が張り、または準備されているところ、糸を不用意
にまたいだり、つかんだりはご法度ですが、凧を知らない人は空を
舞う凧が降りてくる(時に落ちてくる)ことを知りません。
怪我なく凧場で働くためにも自町の凧だけでなく「目は凧に」して
足元も気をつけて凧場を楽しむのです。
目は凧へ、連尺町の皆さんのように心がけなくてはいけません。
2010年05月07日
凧師の仕事

町内のまつり会所から凧の期間中は、会場内にある陣屋テントが町内
の集うところとなる。
この陣屋(テント)の裏にそれぞれの組は鋼管で凧置き場をつくり、その
日に揚げる凧を置いています。(会場外の置き場から運ぶ町もあります)
凧置き場に置いた凧を順番に繰り出し、準備する凧準備の係は凧場で
素早く凧をあげられるための作業に終われます。

3m以上もある凧には竹の尾骨がついており、その上で作業するのには
初凧を大切に扱い繰り出すための仕事があります。
風を読み、凧の張りを決め、凧場に出れば即座に揚げられるようにする
ことが凧をよく知るベテランの仕事でもあります。
凧揚げを終えた凧は奥に仕舞われ次の凧を前に出して準備するまでが
凧準備の係の仕事です。
骨が折れたら現地で即座に修理をするために尾から骨の予備を持ち込
み、道具類を供えています。
順番に凧を運びに来る若い衆はベテランから多くを学んでいます。
2010年05月07日
まつりの贈答

「なにか祝ってやろうじゃないか」
まつりで祝い練りを行う仲間のために仲間が祝い金を集めて何か
贈ろうとなれば、名入りのものがいいなと言うことになる。
磐田(旧福田)にある平田さんご夫婦はグラヴュールというエッチン
グ工房を営み、主におまつり小物を扱っている友人です。
磐田の銘酒千寿酒造のお酒を使い、こんな風にサンドブラストとい
う手法でオリジナルの彫りで祝い酒を造ってくれます。
この瓶もデザインを持ち込んで1品ものとして作っていただきました。

全国広くお客様が広がるグラヴュールのガラスエッチング品に加え
て今年は祝い樽にも多く注文をいただいたそうです。
これも同じ組の別の仲間と共に作った祝い樽、お酒が入っていませ
んから好きなお酒を入れられますので、今回はワイン好きの仲間の
ために1升分のワインを詰めました。
もちろん裏面には贈る仲間の名前を連名で入れていただきました。
贈られる人の喜ぶ顔を想像しながらこんな贈答の品を作る。
もちろんまつりで飲んでしまった後も祈念品として残していただける
のでしょう。
みなさまにもおすすめです。
もちろんグラヴュールはお祭り用の木札、竹札でも有名です。
グラヴュール平田さんのブログ:http://omatsuri.hamazo.tv/
2010年05月07日
凧を運ぶ

浜松でまつりと言えば凧のことで、凧と言えばまつりを指す。
ことさらに浜松まつりと言わずともシンボルである凧と呼ぶ。
凧が近づけば浜松では「凧前にやっておくれ」とか「凧過ぎだな」と
仕事の段取りをする。
早朝の凧場に町から凧を運ぶ、遠州浜組ではトラックで会場外へ
搬送し、そこからは重ねた凧を若い衆が会場内の陣屋まで運ぶ。

初日は早朝6時集合、4日5日は6時半に集合し、その日に揚げる
予定の凧+組凧を載せて運び、朝一番の会場へ運びこむ。
参加174町となった凧場は狭いとも言われるが、早朝ならばこの
とおり、今年は会場南側となった(毎年位置は変わる)陣屋(会場
内の組テント)裏に作った凧置き場まで運ぶ。

早朝の凧場に着けば「風はどうかね」と空を見上げ、木々の枝を見
る。ガラ(糸巻き)につけた旗を見ては風の強さと方向を見る。
凧は今年は3日間共晴天に恵まれた。そして欲をかいて風よ、ある
程度は吹けと願う、毎日男たちの一日は風まかせ。
朝の凧場の静けさの中、一日を占う時間となるのです。
2010年05月07日
まつり終わる

凧(まつり)が終わり久々に靴を履く今朝、前夜祭から4日間地下足袋を
履いていた足が、やわらかい皮に包まれる。
靴底があり、ふわり優しい歩きごこちとなる。毎年この感覚で仕事を再開
する。
凧場では糸先という凧を揚げつける仲間の中にいて空へ挑戦する初凧
といる。初家様に抱かれた初子さまの為に組員全員が一本の揚げ糸に
繋がっている。

夜となれば初練りに向い、この写真のように伝馬町から鍛治町交差点
までの中央統一行動にも参加する。
ラッパと太鼓のリズムの繰り返しながら、南部21町の統一行動の出発
のあの大地を揺さぶるような音を聞けば、奮い立つ。
凧は町内に生まれた初子様を絶対的な中心として町内揃って祝う祭り
である。その中にそれぞれの楽しみがあり、喜びを共有する。
同じ凧印を持ち、そろいの法被を着る町のナショナリズムが、浜松で174
の町で発揮される。
そして時に連合して練っては、もっと大きな結びつきを知り、それが浜松
というさらに大きなシンボルにつながっている。

町には首から上が真っ黒な凧男たちが、今日は仕事着で働いている。
顔を見合わせては、凧やっていたんだなと黒い顔を認め合っている。
まつりだから損得などなし、今年も組長の為に働ききった。そして体は
限界まで疲れて回復を待っている。
感動した。そして仲間を深めた。 いつも感動するところにいることを幸せ
に思っている。
2009年08月08日
心粋(こころいき)センス

この夏に揃いの扇子を作りませんか凧の若い衆からうれしい誘い、お願い
しておくと、立派な会の名を入れた扇子が届きました。
この扇子、この面には「えんきょうかい(遠州浜協力会)」の名が入り、裏面
には「心粋(こころいき」と入ったオリジナルの扇子です。
初凧を揚げるには心意気が大切ですが、わが会ではそれを「心粋」と表して
います。その扇子に家紋と名前を入れて作ってくれました。
祭りには凧や用具など大物も大切ですが、こんな小物を用意してあるとまた
祭りが楽しみになる。使うより持っている楽しみがあるのです。
20周年を境に我々ベテラン組は少し引いて、若い衆がドシドシ前へ出るよう
に環境づくりをするのも仕事になりました。
我々が前面にいる頃にもいろんなものを作ったものですが、今は勢いと「心
粋」のある若い衆がいろんなアイデアを出すのを喜んで見ています。
来年の凧までしまっておき、どこかで揃いの楽しみを持ちましょう。
ベテランになると、何かまた別の楽しみも企画したいものです。
ちょっと相談してみますかね。 夏から来年の五月の楽しみを持っている。
浜松の子は、じつに長く祭りを楽しめるものですね。
2009年07月31日
夏祭りに会員募集

明日は地元遠州浜の夏祭り、町内の公園で自治会テントに並んで私たちの
凧揚会のテントも立てて楽しみます。
どの町の凧揚げ会も同じようで、遠州浜組も年々若い衆が減り、会の平均
年齢が上がってゆくという状況があります。
遠州浜は今年の参加で20周年という若い組ながら、20年選手はそれぞれ
20年歳をとり、大ベテランになっていますが、継承する若い衆の数が足りな
いのです。
遠州浜組はホームページの運営や、ブログへの挑戦、記念誌の発行など
常に広報につとめていますが、やはりもっと積極策で参加者の募集を行う
ことになりました。
夏まつりのテントに凧を展示したり、20周年記念誌を販売したり、テントに
特設スクリーンを設けて20周年の写真などを見ていただくように計画して
います。
今日は当日に配るチラシの仕上げです。 我々が当然だと思っているこ
とをもう一度初見の人に説明できるように作っています。
20周年記念誌編集の際に座談会を行いましたが、若い衆たちは参加
後に町内に知人も増え、活動しやすくなったと言います。
どんな組織も当たり前の運営ではジリ貧になってくる今、もう一度初心に
立ち返って参加者募集をしようと思います。
2009年06月24日
凧と共に空へ

日曜の携帯に突然入った訃報に遠州浜町は泣きました。
今年の4月、遠州浜凧揚会の20周年記念式典を開き、記念誌を発行する計画
の中で私たちは一つの親孝行を考えました。
20年という歳月は子供たちは青年に、青年は中堅に、中堅は会の後ろ盾とな
って働くほどに私たちを変えてゆきます。
その中に70歳で私たちと一緒に凧揚会を立ち上げたベテランがおりました。
若い頃から龍禅寺で凧を揚げ、凧揚本部員の重鎮をも後輩に持つその人は
私たちから「顧問」「顧問」と呼ばれて尊敬されました。
20年の間に組織活動の中で何度も大きな問題が起こりましたが、私たち経験
の浅い者を常に導いてくれたのは顧問でした。
顧問がいるだけで若い組織に重みが生まれ、私たちは顧問をよりどころにし
て活動してきたのです。
今年の凧の中日4日の午後、足を弱らせた顧問がセニアカーに乗って会所に
来てくれました。
「これならどこにでも行けるんだよ」と話す顧問に「うんうん」と頷き、明日を約
束した。
90歳を過ぎても毎年凧場に来て、合戦ともなれば最前線まで来てくれる顧問
は5日の日こそ凧場にと言いに来てくれたのです。
セニアカーを凧会場に向かうトラックに乗せ、顧問のセニアカーが凧場の陣屋
へ行けるように人を開いてゆく。
「え組顧問が通ります」「前を開けてください」と人を開きながら進むことを顧問
も私たちも望んでいたのです。

20周年記念誌には初参加に合せて顧問が手作りしてくれたテギづくりの苦心
談を掲載させていただきました。
顧問が凧揚会長や組長と最前列に座る集合写真も載せました。
そして私たちは表紙の凧の扇面(初子さまの名前を書くところ)に顧問のお名
前の「弘」を合成して載せました。
この冊子のタイトルは「空へ」
顧問は20周年とこの記念誌を喜んでいただき、病床でも記念誌を自慢にして
病院で世話をしていただいたみなさんに披露したと聞きました。
僕らの大好きな「顧問」と百歳の記念に「弘」凧を揚げる約束は果たせません
でしたが、表紙の凧を見て「もう揚げてもらったようなものだ」と顧問は笑って
いたと聞きました。
私たち凧揚会全員の親孝行が顧問の心に届いたことが、通夜でも告別式で
も話題になりました。
棺の花に埋もれた顧問に、組の法被と「顧問」の襷を渡しました。
94歳の立派な大往生でした。
顧問は記念誌で言います。「凧に参加して20年、満足のいく歳月でした」
顧問を乗せた「弘」凧は空へ揚がりました。
いつまでも私たちの心に残る大凧となって空高く舞いあがりました。
顧問は来年からの遠州浜の凧を空へ吊り上げてくれる神様になりました。



