赤い土のレモン

イチロー

2009年10月14日 19:08



秋を感じると浜松の郊外三方原へ向かうのは、春に見たあの白い房の花の結果
を見たくなるからです。

赤い土が合うのか三方原には栗園が多く、不思議なことにあまり収穫されている
ところを見ず、木についたまま、多くは落ちて栗を見る楽しみを与えてくれる。
結果とは面白いもので、実を結んだこと、秋の代表の実に会いに行く。

秋の陽の中、ルームミラーにレモンの光が近づいてくる。

車は見下げて見てはいけないものだと思っている。車の横に立ち見下げてその
スタイルを見るならばどの車もズングリと見えてしまう。
車をデザインする者は平面なる紙の上であるいはモニターの画面の上でそのス
タイルを描いてゆく。

例えるならば走る車の中に座ってみる高さであり、道に立ち反対車線を走る車を
見送るその距離感を持って美しくあれと設計されている。
車を見てデザインを語るならば、まずは彼女の前に膝をついて語るべきである。

ミラーに近づくレモンは太陽光の中ではさらに”薄いレモン色”の光を反射する。
路肩に停車して見送ればスルリと車をかわしてゆくその美しいスタイルを眺め送
ることができるのである。

”この車を細部までデザインを検討つくされた”と書いた車評家のことを思い出し
てなるほどと見送っていた。

次の赤い土の角を曲っていくレモンはデザイナーの意図した距離を持って遠ざ
かって行った。
その車に乗る人を少しうらやんだ。そして嫉妬したのだから彼女は美しかったの
だと反芻した。

レモンは車を美しくするドレスの色である。

「ガタンブルル」と車に火を入れて追うはずが、目で追うのみがよいと思いなお
した。やたら食指を動かすのは紳士にあらず。
また悪い癖が出ても困るのだ。 

結果、女性はいつでも女性代名詞である。彼女のレモン色のドレスは秋の栗園
を過ぎて遠ざかっていった。

実を結ぶものがエスコートして遠ざかっていった。イプシロンはちょっとこちらを見
たような気がしたと思う男はまだショっているのかもしれない。

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