少し旧いものを好きになる常、最新のデザインではトガり過ぎ、
また新しすぎて照れもある。
大人の鑑賞と持ち物にそぐうモノとは少しクラシックなもので
ある。
後ろから、車線違いの斜め後ろから何年も何度となく眺めるク
ラシックがいる。SAAB900のその名もクラシックというバック
シャンである。
先輩たちに愛されたスカンジナビアンは太りじし、それでいて
色気などを見せないから、派手な見た目を追いかけるような輩
の相手にはならない。
その輩もクラシックになりつつあることをすれば、ふとその後
ろ姿に気づくようになる。男も熟すのである。
クルマという歴史ある世界に追いつく男などはいない。
全ての好みのクルマとつきあったなどと豪語する男などさほど
はいないのは次々と生まれ続ける新車のほかに、趣味が熟して
好ましいと思うものが現れるからである。
短い期間につきあうのなら、ちょいと派手なのもよい、けれど
いつも一緒にと思うならば自分と同じ熟度のものがよい。
基本がかわりつつある現代、全てが内燃機関でというものは旧
いのだと言われはじめている。
クルマの歴史とは内燃機関であることの上に築かれた歴史であ
る。そのデザインも用いられ方も、愛され方もである。
ゆえにクラシック男は、まだ新しすぎるものをその趣味範疇に
は置けず、まだ先輩たちのように熟したものを愛したいとぞ思
う。
まだ熟しきらず男が愛するものと暮らす日を夢みる旅は続くの
である。