町内広場のフロンテ

イチロー

2006年11月07日 22:53



1967年の発売というから、スズキフロンテ誕生の年には、まだ僕は9歳とい
うことになる。

当時僕は、浜松の大瀬町の鷺ノ宮団地に中央から引っ越したばかり、子供た
ちが多くて、遊び仲間がたくさんでき、田んぼや、お宮や川があって毎日ドキ
ドキして過ごしていた。

団地の真ん中に水路のような川があり、そこでの魚釣り、通学路沿いの田ん
ぼにはザリガニがはりつき、通った積志小学校は2000人に届かんという児
童数がいるマンモス校だった。

団地は人がたくさんいて、スーパーマーケットが確か二軒あり、団地の中央
にある広場ではさまざまな催しが行われていた。

近くにあった大瀬モータースさんが車やバイクを持ち込み、展示会を開く。
まだまだ車など家庭で持っている人は少なく、父に連れられて見たのがスズ
キのフロンテだった。



この後、フロンテはスポーツモデルSSが登場して販売を伸ばす。

このフロンテはRR(リアエンジンリアドライブ)、つまりエンジンが後をのせ
後輪を駆動する車、現在ヒット中の三菱iと同じ方法をとっておりました。

スバル360の成功を受けてスズキが量産ヒットを狙ったスポーティな車で、
子供ながらSSのかっこよさを印象的に覚えています。

その後、団地の広場にジムニー初期型が登場する。

「ジープだぜ、ジープ」

戦争映画やコンバットなどを見ていた我々には、幌をはずしたジムニーは
ジープそのもの。

子供たちが群れてもモータースのおじちゃんは、快くシートに座らせてくれ、
「お父さんに渡して」とカタログをくれる。

そんな車のパンフレットは僕ら少年たちの宝物になったものでした。

あの頃はどの水路にも、赤いアメリカザリガニが大きなハサミを振りたてて
僕らを威嚇していました。

お宮のそばの草むらにはカミキリムシがギィギィと鳴いていたのでした。

うちが始めての車、トヨタパブリカを買うのは、まだ数年後のことでした。

☆この中年乗り物大全は、ふつつかものさんとのコラボ企画でお送りして
おります。
☆画像はGAZOO.comさんからお借りいたしました。

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