2008年04月04日07:28

通称”赤電”が走ってきます。
浜松と西鹿島を結ぶ遠州鉄道は子供の頃から高校卒業までお世話になった
電車でした。
子供時代を鷺ノ宮団地(大瀬町)で過ごした僕は、”マチ”に出る為には団地
から歩いて”共同”の駅へ向かった、共同とは鷺ノ宮駅ができる前にもう少し
南側にあった小さな駅でした。
高校入学とともに転居しても、高校のある浜北まで浜松から乗ったのも、この
赤電、たった二両の電車ですが、新品の制服で乗った入学式、卒業式の日に
は最後にこの電車で帰ったものでした。
今はどうなのでしょう、遠州鉄道の車両はボックスシートはなく、混雑して立つ
人を受け入れる為に、シートは壁側に長く備えられているのです。
おかしなことに、高校時代は1年生と3年生では座り方が違うのです。
多くの先輩が乗る電車に初めて乗った1年はなかなか座ることができません。
クラブの先輩に挨拶に行ったり、先輩の座る前に立ち、話をしたりする。
たまに座れてもシートに背を押し付けてまっすぐに座るのです。
3年になれば、電車のシートに”極めて”浅く座り、足を向かいのシートに届く
ほど伸ばす、片側の肘をシートにつけばまるで寝るような格好なのです。
こんな格好で座る3年生にシートは占領されていたのです。
女の子たちも、背を押し付けてまっすぐ座るのは1年生、上級になれば次第
に浅く座り、背もたれにもたれかかっているのです。
沿線の駅で乗る3年生はそれぞれほぼ決まった席に座るから、下級生は
遠慮して立っているのです。
毎日車窓から見える同じ席を眺めながら通学をしていた。
カタンカタンと枕木を鳴らしながら、グウングウンと唸りながら赤電は走る。
あれから30年以上経ってしまった。 それから数度しか乗る機会がない赤い
電車、もう一度カタンカタンと揺れてみたい。
車窓にはあの頃の記憶が映るのでしょうか
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カテゴリー │デキゴト路地

通称”赤電”が走ってきます。
浜松と西鹿島を結ぶ遠州鉄道は子供の頃から高校卒業までお世話になった
電車でした。
子供時代を鷺ノ宮団地(大瀬町)で過ごした僕は、”マチ”に出る為には団地
から歩いて”共同”の駅へ向かった、共同とは鷺ノ宮駅ができる前にもう少し
南側にあった小さな駅でした。
高校入学とともに転居しても、高校のある浜北まで浜松から乗ったのも、この
赤電、たった二両の電車ですが、新品の制服で乗った入学式、卒業式の日に
は最後にこの電車で帰ったものでした。
今はどうなのでしょう、遠州鉄道の車両はボックスシートはなく、混雑して立つ
人を受け入れる為に、シートは壁側に長く備えられているのです。
おかしなことに、高校時代は1年生と3年生では座り方が違うのです。
多くの先輩が乗る電車に初めて乗った1年はなかなか座ることができません。
クラブの先輩に挨拶に行ったり、先輩の座る前に立ち、話をしたりする。
たまに座れてもシートに背を押し付けてまっすぐに座るのです。
3年になれば、電車のシートに”極めて”浅く座り、足を向かいのシートに届く
ほど伸ばす、片側の肘をシートにつけばまるで寝るような格好なのです。
こんな格好で座る3年生にシートは占領されていたのです。
女の子たちも、背を押し付けてまっすぐ座るのは1年生、上級になれば次第
に浅く座り、背もたれにもたれかかっているのです。
沿線の駅で乗る3年生はそれぞれほぼ決まった席に座るから、下級生は
遠慮して立っているのです。
毎日車窓から見える同じ席を眺めながら通学をしていた。
カタンカタンと枕木を鳴らしながら、グウングウンと唸りながら赤電は走る。
あれから30年以上経ってしまった。 それから数度しか乗る機会がない赤い
電車、もう一度カタンカタンと揺れてみたい。
車窓にはあの頃の記憶が映るのでしょうか