花とおじさん

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花とおじさん

花を見つけてカメラを構えれば、ファインダーの中に空気が満たされる。

実に私たちは光の中に棲む花を空気と共に切り取っているのです。

花はいつもとても静かにそこに在り、人は花の前にひざまずき、花と同じ
高さになって語りかければ、美しい微笑みをもらうことができるのです。

去年も見かけた花だな、なんて思っている私たちの前には、もう一代生
まれ変わった若き花たちが微笑みかける。

花の命は短いけれど、長い私たちの人生の季節の数だけ花たちは生ま
れ変わって見せているのです。

私たちは何かに気づき、考え、経験として蓄積して知識とする。

花たちは短い季節に美しく咲き、次々と生まれ変わっていくのです。

今年の花を見るおじさんは来年もおじさん。

同じ花に見えても、来年の花は精一杯生きた子の子供たちなのです。

僕らは季節の花の命を、終わりまで見ることができる。
花は生まれ変わりながら、いつも美しく咲くことができる。

さて、どっちが見られているのでしょうね。

「小さい花にくちづけをしたら、小さい声で僕に言ったよ 叔父さん見て
て私の命 花の命の終わるまで」

浜口庫之介さんの歌を思い出したのでした。


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この記事へのコメント
コメントいたします。
花と目線が同じに成って来ましたね。
花を謙虚に受け入れ、愛おしいという気持ちが伝わります。
自然体の自分を見つける事が出来ましたか。
Posted by 大黒屋 at 2008年05月10日 08:42
大黒屋さん、おはようございます。
心おちついた時に花を見る心に戻ります。
光を見て感謝することができるようになります。
Posted by イチローイチロー at 2008年05月10日 10:20
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    コメント(2)