2008年05月10日07:26
花を見つけてカメラを構えれば、ファインダーの中に空気が満たされる。
実に私たちは光の中に棲む花を空気と共に切り取っているのです。
花はいつもとても静かにそこに在り、人は花の前にひざまずき、花と同じ
高さになって語りかければ、美しい微笑みをもらうことができるのです。
去年も見かけた花だな、なんて思っている私たちの前には、もう一代生
まれ変わった若き花たちが微笑みかける。
花の命は短いけれど、長い私たちの人生の季節の数だけ花たちは生ま
れ変わって見せているのです。
私たちは何かに気づき、考え、経験として蓄積して知識とする。
花たちは短い季節に美しく咲き、次々と生まれ変わっていくのです。
今年の花を見るおじさんは来年もおじさん。
同じ花に見えても、来年の花は精一杯生きた子の子供たちなのです。
僕らは季節の花の命を、終わりまで見ることができる。
花は生まれ変わりながら、いつも美しく咲くことができる。
さて、どっちが見られているのでしょうね。
「小さい花にくちづけをしたら、小さい声で僕に言ったよ 叔父さん見て
て私の命 花の命の終わるまで」
浜口庫之介さんの歌を思い出したのでした。
花とおじさん≫
カテゴリー │花ばなしい
花を見つけてカメラを構えれば、ファインダーの中に空気が満たされる。
実に私たちは光の中に棲む花を空気と共に切り取っているのです。
花はいつもとても静かにそこに在り、人は花の前にひざまずき、花と同じ
高さになって語りかければ、美しい微笑みをもらうことができるのです。
去年も見かけた花だな、なんて思っている私たちの前には、もう一代生
まれ変わった若き花たちが微笑みかける。
花の命は短いけれど、長い私たちの人生の季節の数だけ花たちは生ま
れ変わって見せているのです。
私たちは何かに気づき、考え、経験として蓄積して知識とする。
花たちは短い季節に美しく咲き、次々と生まれ変わっていくのです。
今年の花を見るおじさんは来年もおじさん。
同じ花に見えても、来年の花は精一杯生きた子の子供たちなのです。
僕らは季節の花の命を、終わりまで見ることができる。
花は生まれ変わりながら、いつも美しく咲くことができる。
さて、どっちが見られているのでしょうね。
「小さい花にくちづけをしたら、小さい声で僕に言ったよ 叔父さん見て
て私の命 花の命の終わるまで」
浜口庫之介さんの歌を思い出したのでした。
この記事へのコメント
コメントいたします。
花と目線が同じに成って来ましたね。
花を謙虚に受け入れ、愛おしいという気持ちが伝わります。
自然体の自分を見つける事が出来ましたか。
花と目線が同じに成って来ましたね。
花を謙虚に受け入れ、愛おしいという気持ちが伝わります。
自然体の自分を見つける事が出来ましたか。
Posted by 大黒屋 at 2008年05月10日 08:42
大黒屋さん、おはようございます。
心おちついた時に花を見る心に戻ります。
光を見て感謝することができるようになります。
心おちついた時に花を見る心に戻ります。
光を見て感謝することができるようになります。
Posted by イチロー at 2008年05月10日 10:20