錆と葉

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錆と葉

「どう見えるかなあ」

「地味だからね」、言われてみれば地味、今更言われなくても派手だとは
思わないのだが、地味は考えることをする。

パアパアと派手にすることはしょうに合わず、さりとて引っ込んでいる性格
でもないならば、モゴモゴと口ごもりながら考えたことを書いてみる。

果たしてそれならば、人より多弁になるからうまくしたものである。

ある時、話し言葉でいいんだな、と思った時からモノを書くのが楽になった。
まるで対面した人に説明するように話し書いていけば完結する。

書くなどと考えるからいけないのであって、パソコンに向かってしゃべって
いるように書いているのだと思いつく。                                                     これなら楽である。

少々錆つきながらも、枝や葉は多く持つ歳である。      
                                     
何かがあれば、つきつめて考え、答えを導きだして頭の抽斗にしまっておく。

それをうまく引き出す人と出会えば、とたんに引越し場のように抽斗をすべて
明けて話し、しまってあったものが無駄な資産でなかったことに気づく。

そういう愉快に会いたくて眺め回せば、うれしいことに少しづつ仲間が増えて
時間を時々共にする。

人と人が出会うのに、まずは書いたものからはじまる文化の経験は特殊な
場合以外は誰にもなかったはずである。

そしてそこは書き物であったり、独り言であったり、一言であったり、写真が
ついていたりいなかったり、毎日何回も会えたり、しばらく和えなかったりす
るのだ。

実に不思議なことに、3年も、その前のブログから会わせれば4年以上もこ
の世界にいるのに、殆ど懐かしき友に出会えたことがない。
きっといるはずだと思う旧友たちに声をかけていただいていない。

引越しをしたり、東京へ出たり、戻っても同窓会などに行かないから昔とは
切れてしまっている。

声をかけていただきたいとは思わぬものの、いったりどこへ行ってしまった
のか、再開しない不思議も感じている。

錆とか枯れというものは美しい、新品より景色になじんで深みがあり、やは
り痛みを知っている。
そんな仲間数人と知り合えたブログにはまだまだ可能性がある。

地味ながらそう考えているのである。                          



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この記事へのコメント
コメントいたします。
素直な心大切ですね。
派手を知っているから地味になれる。
地味は、味わう。
地味は、渋みを増し枯れを悟る。
そして、人としての幅と深さを増す。
「素敵なおじいさんに成れますよ」
Posted by 大黒屋 at 2008年08月26日 09:26
大黒屋さん、コメントありがとうございます。
地味ばかりなようですが、積み重なる落ち葉のように滋味を
持っていきたいと思います。精進いたします。
Posted by イチローイチロー at 2008年08月26日 16:56
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