2007年12月13日11:29
「光の流れですね。気持ちが一緒だと映像も近いものになるのですね」
昨日の”橋と向こうの家の光”を読んで大黒屋さんからコメントをいただいた。
大黒屋さんの世界に憧れて撮った写真への言葉がうれしく、昨日を過ごした。
帰って大黒屋さんのページを拝見すると、昨日の”夕方の癒し”のテーマは「錆と錆朱」
いつか教えていただいた「錆も枯れも美しい」という心を撮っていらっしゃった。
少し驚き、気持ちが一緒だと映像も近いものになるという言葉を反芻した。
じつはその頃、萩丘での仕事を終え、放置された果樹園にいた。
萩丘から近くの団地の中にある果樹園は蔓だらけの好みの場所、ここで蔓の実のジュ
エリーを楽しんでいた。
そして藪に踏み込み、朽ちた納屋とも紅葉を見つけて、ふと鉄錆の教えを思い出した。
「この色だ」と思い、一枚写真に収めたのです。
気持ちが一緒の時があり、同じ色を同じ日の光の中で見つけていた。
若い心はピカピカの鋼鉄であるが、我々は錆を持ってもなおそこに立つ鉄である。
そこに沿うように紅葉が彩る。
教えは本で学ぶものではないと思っている。聞くよりも行動せよ。
そして考えてみる。
今年は光を教えていただいた。多くの藪を見て季節を知り、毎日変わる光を浴びた。
「まだまだ錆びてなんかないぞ」
出会いができる心に感謝した。光を見ている限りまだ心は進化してゆく。
鉄朱という言葉を覚え、使えるようになった。昨日の発見は今日の一歩の深まりと
なる。
うれしくてこんなことを書いている。
鉄錆の葉≫
カテゴリー │花ばなしい
「光の流れですね。気持ちが一緒だと映像も近いものになるのですね」
昨日の”橋と向こうの家の光”を読んで大黒屋さんからコメントをいただいた。
大黒屋さんの世界に憧れて撮った写真への言葉がうれしく、昨日を過ごした。
帰って大黒屋さんのページを拝見すると、昨日の”夕方の癒し”のテーマは「錆と錆朱」
いつか教えていただいた「錆も枯れも美しい」という心を撮っていらっしゃった。
少し驚き、気持ちが一緒だと映像も近いものになるという言葉を反芻した。
じつはその頃、萩丘での仕事を終え、放置された果樹園にいた。
萩丘から近くの団地の中にある果樹園は蔓だらけの好みの場所、ここで蔓の実のジュ
エリーを楽しんでいた。
そして藪に踏み込み、朽ちた納屋とも紅葉を見つけて、ふと鉄錆の教えを思い出した。
「この色だ」と思い、一枚写真に収めたのです。
気持ちが一緒の時があり、同じ色を同じ日の光の中で見つけていた。
若い心はピカピカの鋼鉄であるが、我々は錆を持ってもなおそこに立つ鉄である。
そこに沿うように紅葉が彩る。
教えは本で学ぶものではないと思っている。聞くよりも行動せよ。
そして考えてみる。
今年は光を教えていただいた。多くの藪を見て季節を知り、毎日変わる光を浴びた。
「まだまだ錆びてなんかないぞ」
出会いができる心に感謝した。光を見ている限りまだ心は進化してゆく。
鉄朱という言葉を覚え、使えるようになった。昨日の発見は今日の一歩の深まりと
なる。
うれしくてこんなことを書いている。
この記事へのコメント
コメントいたします。
感じるものが同じになってきましたね。
光と色が共鳴を生んでいる、それも自然に現実と真実として。
渋さが魅力となる年齢ですね。
「錆と渋さと光」
感じるものが同じになってきましたね。
光と色が共鳴を生んでいる、それも自然に現実と真実として。
渋さが魅力となる年齢ですね。
「錆と渋さと光」
Posted by 大黒屋 at 2007年12月13日 13:43
同じものに気づき写真に収めていたことがうれしく思います。感じなければ見つけることもない。
ゆっくりですが見つけていきたいと思います。
ゆっくりですが見つけていきたいと思います。
Posted by イチロー at 2007年12月13日 17:49