2008年01月10日07:46
有玉の畑にやってきました。
冬越しの鬼灯の横に植えられたブロッコリーが大きく葉を広げているのをみれば
穴だらけ、葉の一枚一枚を目で追えば、いましたよ。
青虫がしっかりと陽をを浴びていたのでした。(じつは苦手で怖いもの見たさ)
冬の畑で春探しすれば、まだまだ多い枯れ色、土の色。
大きな葉は青虫を太らせて穴だらけ。
でもその穴は、春に続いていたのです。
ブロッコリーの大きな葉っぱのドームに包まれて窓から覗いた春の花、小さな春
が隠れていたのです。
人にも葉にも、その下の小さな花にも平等に光は届く。
光は一番外側にあって、みんなを包んでいるのです。
毎年、畑や田んぼの南の斜面に春を探した頃がありました。
一番の春を見つければ、とても自慢だったものです。
苦手な青虫が陽を浴びて、葉っぱを食べて窓をあけ、窓から射した陽を浴びて、
小さな春が育ちます。
鬼灯の畑にも、少しづつ近づく春の足音が聞こえそうなのでした。
ブロッコリーの春の窓≫
カテゴリー │花ばなしい
有玉の畑にやってきました。
冬越しの鬼灯の横に植えられたブロッコリーが大きく葉を広げているのをみれば
穴だらけ、葉の一枚一枚を目で追えば、いましたよ。
青虫がしっかりと陽をを浴びていたのでした。(じつは苦手で怖いもの見たさ)
冬の畑で春探しすれば、まだまだ多い枯れ色、土の色。
大きな葉は青虫を太らせて穴だらけ。
でもその穴は、春に続いていたのです。
ブロッコリーの大きな葉っぱのドームに包まれて窓から覗いた春の花、小さな春
が隠れていたのです。
人にも葉にも、その下の小さな花にも平等に光は届く。
光は一番外側にあって、みんなを包んでいるのです。
毎年、畑や田んぼの南の斜面に春を探した頃がありました。
一番の春を見つければ、とても自慢だったものです。
苦手な青虫が陽を浴びて、葉っぱを食べて窓をあけ、窓から射した陽を浴びて、
小さな春が育ちます。
鬼灯の畑にも、少しづつ近づく春の足音が聞こえそうなのでした。
この記事へのコメント
コメントいたします。
正月5日から、知人がつづけて亡くなりコメントできませんでした。
知人を亡くし、命の大切さを感じました。
春は命の芽吹き、人の関わりを大切にせねばと思います。
「命の写真ありがとう」
正月5日から、知人がつづけて亡くなりコメントできませんでした。
知人を亡くし、命の大切さを感じました。
春は命の芽吹き、人の関わりを大切にせねばと思います。
「命の写真ありがとう」
Posted by 大黒屋 at 2008年01月10日 10:49
大黒屋さん、私こそごぶさたしてしまいました。
新年の光浴びながら仕事も浴びています。
私たちが行き続けること、これが友人や先人への供養ですね。
新年の光浴びながら仕事も浴びています。
私たちが行き続けること、これが友人や先人への供養ですね。
Posted by イチロー at 2008年01月10日 18:45