あぶらあげ焼けたか

イチロー

2008年04月04日 09:28



いろいろお世話になりながら、写真まで借りてものを書く。

随分と手を抜いていると思われても仕方がないのだが、一日に一度焼き物
に目で触れるうちに、精通している気持ちになる。

門前の小僧習わぬ経を読み、焼き物も見ることからはじめ、次に触れ、気に
入ったものを手に入れる、手に入れたい形をこうして探している。

焼き物を作家の作品と見るのではなく、手に取り飯や菜を盛るものとして目
で触れて確かめていくのである。

昨晩、先日京都へ向かった大黒屋さんとぶん屋さんのお土産のあぶらげを
いただいた。

網であぶらあげを炙ると、コガコガと網に焼ける匂いがあがる。

炊きたての飯を飯椀に盛り、焼けたあぶらあげを乗せる。

すり生姜を乗せ、醤油をザッとあぶらあげにしみ込ませて、ザクリといただい
てしまう。

ご飯があり、焼いたあぶらあげがあり、味噌汁があり、漬物があればもうな
にもいらない。

飯椀の大きさは盛ったご飯の喜びの大きさであればよい、これに大盛りにし
てあぶらあげを乗せるのである。

飯椀を見る時に、飯を盛る想像なくしては選べない。
適度の厚みがあり、指かかりがよく、持ち重りすぎず、豊かな広がりとふくら
みを持ったものをよしとする。

あとは湯気がたつ飯を想像して、「よし」となるのを待つ。

よい飯椀は健康な食欲で選ぶべきである。そして食うべし。

あとは、夕飯前に持って帰り、使える焼き物を得た喜びを盛るのである。


写真を借りながら、またも土曜には車まで借り出す食いしん坊がいる。
こういう男に飯を出せば、遠慮なく三杯飯を食う。

ランドマーク・プランニングラウンドテーブルの米びつの大きさに感謝する。

※写真提供:「Round table」ギャラリー通信!どの

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