佐藤貴志、村田亙を継ぐ者

イチロー

2010年04月01日 16:32



ヤマハラグビー部から新体制の発表と入退団選手の発表があった。

恐れていたほどの大量退団ではないと思いながら、予想されていた佐藤貴志選手
の移籍(神戸製鋼)を知った。

佐藤貴志、スクラムハーフ。幸運なことにヤマハラグビー部の取材の2年目に入団し
た彼をずっと近くで見ることができた。

最初は奇跡のラガーマン村田亙選手の陰にいた。ずっとずっと将来のヤマハのス
クラムハーフとなるだろう選手として彼を知った。

村田選手はヤマハを優勝させる為に東芝からヤマハへ移籍し、見事関西リーグを
征してヤマハをトップリーグに押し上げた。
その村田選手と練習を共にした佐藤選手は村田選手からその心を継いだ。

写真は2008年2月2日、奇しくも東芝戦、試合終了後村田亙選手の引退セレモニー
が行われた。胴上げしようと集まるヤマハ選手に呼応して東芝選手たちが集まって
きた。

佐藤選手が村田選手を中央に押し出し両チームでの胴上げが始まった。

かつて佐藤選手が村田選手と世代交代をした機会となった試合のことを書いた。

-------------------------------------------------------------------------------------------------



ラグビー選手はポジション毎に活躍を期待されて入団する。

2004-2005シーズン、ヤマハは15人もの大量補強を行い、その中には学生
時代からジャパンに召集された山村亮選手や、その山村と大学選手権の決
勝で争った大田尾竜彦選手がいた。

そのルーキーイヤーに第2戦から最終節までリザーブ入りし、後半に交代出
場を続けた若き選手がいた。SH(スクラムハーフ)の佐藤貴志である。

ラグビー選手はポジション内で競いあうから、力のある先輩がいれば常にリ
ザーブに甘んじなければならないが、リザーブとはいざ事があれば先輩を凌
ぐ力を発揮することを要求される。
それがヤマハの至宝、村田亙選手であったとしても。

2004-20051シーズンをリザーブから後半出場で経験を積んだ佐藤選手は翌
年もリザーブを続ける。
そしてその第2節、ヤマハスタジアムで行われたセコム戦でも先輩と交代した。

村田亙が痛み、気遣いながらその瞬間に佐藤はヤマハの正スクラムハーフと
なった。



第3節も同じヤマハスタジアムに、リコーを迎えた。

そのスタメンに佐藤貴志選手はスタメンに起用された。それほど村田の痛み
は大きく、経験を積んだ控えとして佐藤選手は燃えていた。

「チャンス」、先輩の故障は二年目の彼に大きなチャンスを与えた。

キックオフ前には同期の冨岡耕児選手、石神勝選手、串田義和(先輩)、
大田尾竜彦選手らがズラリと並び、前年の経験を生かし2年目のシーズンに
スタメンでポジションを得ていた。

175cmと恵まれた体を持つ若きSHが初めて出場する試合に誰もが注目を
していた。

あれから4年、佐藤貴志選手はヤマハのSHとしてスタメンを続けている。
同じSHに岡健二選手、矢富勇穀選手というライバルを持っている。

「シュガー」と呼ばる男は村田選手の引退の際には越えてゆくべき先輩の肩
を抱き、胴上げに導いていた。

チャンスを生かし越えてゆくことこそ先輩の望みである。
そして先輩となった今は、今度は後進を育てながらヤマハの厚いSH陣を率い
ている。

「シュガーいいよね」とあるファンがルーキーイヤーに彼を褒めた。

その時から追っている。シュガーの動きを追っている。 

彼のエピソードは尽きず、それを書くことを楽しみにしている。
-------------------------------------------------------------------------------------------------------

我らが佐藤貴志はストーリーも実際にも村田亙の心を継承している。

そしてヤマハから神戸製鋼に活躍の場所を移して今年もトップリーグを駆け
回る。

「神戸製鋼を優勝させる為に」

シュガー(佐藤)はその気概を持って戦う選手である。

ヤマハを応援する楽しみに神戸製鋼戦でのシュガーとの対決を加える。

そしてヤマハ応援席は、かつての四宮洋平選手や大西将太郎選手に贈っ
たように、きっと「シュガーーッ!」と彼にエールを贈る。

ラグビーの世界には「ラグビーで得た友情は一生のもの」と言う言葉があり、
それをシュガーこと佐藤貴志にもあてはめて納得をする。

自分に挑戦する選手こそがラグビー選手である。

村田亙から佐藤へ、東芝、ヤマハと受け継がれた心は神戸製鋼へと続い
て行く。

佐藤貴志こそが継いだその人である。

関連記事