伐られた木でも

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伐られた木でも

「困ったことが起きたのよ」

知り合いのお母さんから相談の電話を受けた。進級をひかえたお子さんの
テストの点がふるわず赤点ばかりなのだという。

相談を受けた男、じつは数学がからだめで高校時代赤点を続けた、さらに
物理の授業がはじまると赤点が増えた、この相談は”得意科目”である。

高校時代はさまざまな興味が花開く時である、自身もギターに狂っていた
から友がいる学校に通っていたようなもので勉強などの為ではなかった。

このお母さんは勉強ができたから、赤点など初めての体験で驚いてしまっ
たのである。

明日は試験の最終日、これに落ちれば留年なのだと学校は言うそうだ。

赤点をとり、落第スレスレにいるというのは若い時期の経験の一つとなる。
お母さんが困ることではなく子供の体験の一つと考えればよい。
明日のテストまでに何ができるわけでもなく、今更普段の生活を責めても
仕方ないのだ。

その子には今やりたいことがたくさんありすぎて、勉強どころではない。
無限の若い時間を費やすべきことがありすぎる、素敵な若者なのである。

庭師さんが茂りすぎた木を伐っている。
公園を真っ暗にするほど茂りに茂った木は自由に枝を伸ばす若い木の力
そのものである。

上手に剪定してあげるのも大人の手伝いになるのだが、茂らせた中から
伸びる枝を残し、木が自力でその枝を太らせるのを見守るのも庭師さんの
仕事である。

茂らせてしまったものは木の力と思い喜んであげるのも親の役目である。
たとえ見当違いの方向に伸びたとしてもしっかりとした根を親が育ててあ
げていたのなら、伐られた枝などは問題ではない。

若い日の枝は何本でも再生できる力を持っているのだ。

経験のない庭師は木を見てその茂りを恐れてしまうのだが、枝ではなく
根っこに栄養をあげることからはじめればよいのだと気づくのです。

春に延びる芽を摘む人はなし。

テストでちぎれた葉など、どんどん再生するのが若い木の力なのです。


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