陽は上り陽は沈む

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陽は上り陽は沈む

 ひとりの名優は一人輝くことなく多くの後進と共に舞台に立ち、陽が上がり陽が
沈みを続けて900回も続けていた。

今日は森繁久弥さんを偲んで「サンライズ・サンセット」を流している。

読売新聞の「編集手帳」を読むと、その”屋根の上のヴァイオリン弾き”に森繁テ
ヴィエの率いた舞台のエピソードが掲載されておりました。

<要約>
ある屋根の上のヴァイオリン弾きの公演の幕が上がると最前列で頭を下げて目
をつぶっている女の子がいた。自分たちの公演を最初から居眠りしていると見た
舞台の一同は、床を踏み鳴らし女の子の目を覚ませようとした。

アンコールの幕があがり始めて頭をあげた少女は目をつぶったままだった。
その子は盲目で全神経を集めて公演を集中して心の眼に映そうとしていたこと
がわかると、森繁テヴィエら出演者は心ない仕打ちを恥じ、舞台の上で泣いたと
いう。

誰ひとりこの芝居に集中させないでおるものかと舞台に賭けた屋根の上のヴァイ
オリン弾きはこんな意気込みで続けられ、そしてエピソードを残している。

この時代はアピールの時代で、人より前へ進めなければ落伍者であるかのよう
に思われる時代であるが、じつは「心」の時代である。
「心」なくして喜びはなく、心あるところで自分を恥じることを知るのである。

多くを伝える報道・メディア、その端っこにいながら最大多数を占める我々も何か
を伝えようとこんな手段で書いている。
興味本位なだけでなく、達成された本質に「心」があることを誰もが知っている。

陽は上り陽は沈みを続けるのは誰でも同じ、900回どころか一生の毎日を続けて
いる私たちはその中に人生の舞台の感動を散りばめたいと思っている。

人を思い、人に尽くせばこそ、小さな喜びが湧いてくる。
ただしそれはとても小さな喜びで、人の関心を引くほどでない自分だけの喜びや
満足であったりする。
そしてそれは評価などされるものではなく、密やかなひそやかな小さな光であっ
たりするのです。

世にはピカピカのスパンコールでスポットライトを浴びることがよいのだという風
がある。我々はそれを立派だとも思うのだが、誰でも手に入るものではないと
知っている。

我々に手に入るものは心の中でキラリとするものだから、誰にも気づいてはもら
えないのだけれど、小さなキラリはいつでも大切にしておける自分の輝きである。

盲目の少女の前で足踏み鳴らした舞台はきっと少女の心の中で高く強く響いた
ものになったに違いない。 目で見えないから心を輝かせたに違いないと思う。

泣いたテヴィエも舞台の仲間も私たちがつくりあげた感動を見てくれとアピール
した。少女はそれを一所懸命に受け止めた。
少女を知ったことで感動をつくる方法をまた知ることができた。

泣いた舞台は少女という演出者を加えて感動を届けたに違いないのである。
エピソードとは感動の周辺にちらばるキラリ宝石である。
読売新聞の編集手帳を読み、その宝石の披露に感激している。


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この記事へのコメント
 こんばんは。

 エピソードに涙してしまいました。

 森繁久彌さんの御冥福をお祈りいたします。
Posted by ちゆきちゆき at 2009年11月11日 20:34
ちゆきさん、おはようございます。
エピソードとは美しい感動の光りですね。僕も涙でした。
Posted by イチロー at 2009年11月12日 09:57
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    コメント(2)