早い春の木瓜

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早い春の木瓜

喪った悲しみを癒すには時間がかかるんだよと常に教えてくれた人が、喪っ
た悲しみの中にいます。

とてもとても長生きなお母様でしたが、子にとって母はいつまでも母で、母に
とっては何歳になっても子なのです。
年齢など親子の間にはないのです。

喪うことで知ることが多くありました。一番大きなものは誰でも何かの悲しみ
を抱えているのです。
人は誰でも幸せそうに見えるのですが、ふと聞けば誰も悲しみを持っている。
今の悲しみ、過去の悲しみ、今後も続く苦労であったりします。
どの悲しみや苦しみが大きいのかなど、誰もわかりはしないのです。

人はその人の悲しみの本質には近づけない、その重さを知ることができませ
ん。でも自分の悲しみを考えればその悲しみを想像することができるように思
うのです。

一番寒い季節の公園には色がありません。
冷たすぎて歩く人もまばらな公園には色がありません。

思い出して裏口に行けば足元に冷えの中に鮮やかな木瓜(ぼけ)の花が咲
いていました。

冷たい風の中でくっきりとやさしく、まるで包み込んでくれるような紅い色をし
ています。
白い顔に真っ赤な紅、その色にほんの少しの暖かさを感じたくて木瓜の傍ら
にしゃがみこみます。

悲しみは時間がこなくては癒えることはありません。たとえ癒えたとしても
思い出してあげるのが供養になったりもするのです。
花を供え、手を合わせ、いつまでも覚えているよと石の前に座り、話題にして
は寂しくなるのが供養だったりするのです。

春はすぐそこにあります。でも春までにはまた冷たい風を感じなくてはならな
いのです。喪った者の代りに春を迎えればきっと少しの間、暖かくなるように
思うのです。


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