洒落ていること

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洒落ていること

言葉が乱れているなどと、今さら言うまでもないのだが、商業から生み出
される言葉に翻弄されるほど愚かしいことはない、

「コジャレだけは勘弁」、友が言うのは街に溢れる「しゃれた風味」のお店
たちである。
揃って薄暗く、個室をつくり穴倉みたいな閉鎖空間をつくる。
客が落ち着く隠れ家を作ってくれているつもりである。

店の構えは窓を設けず、もしくは隠して真っ黒な塀をつくったり囲んだり、
さらに店名はまるで読めない当て字になっている。
そこに若者集いて、ドシンドシンと騒ぎ、キャーキャーとおかしな料理を見
ては”ウケ”ている。

商業的な成功とは、今や20代から30代を集めることとしているようで、
テレビを見ても、その層にウケるように構成され、目まぐるしく派手なだけ
で奥行きがない。
若い子がレポートする料理番組は、せっかくの料理を「おいしい、珍しい
はじめて」とかり説明されたら台無しである。

古きを演出しても、青年たちには理解できないから納得されてしまうのだ
が、それより”年寄り”な層はありがたいことに古きものの美しきことも知
っているから、古色のような風味には興味がないのである。

食品のようになんでも風味ですませれば商売が成り立つのは若きうちで
ある。

本物であることこそ大切だとは言わないが、30代、40代、50代が居心
地のよい店というようには作れないのか。
本物でなく簡便であってもよし、要は奇をてらわず、静かに呑み料理を楽
しむスペースに、 小さな子供などが這い出てこないように願いたいのだ。

若きことは全てにエネルギーに溢れ、驚くほどの大声と笑い声が響く中
では静かに楽しむこともできないのだ。

コジャレ店にとって想定外の客は我々である、だから行くべきではないの
は、こうすればこう客が反応するというプロデュースされた空間と料理の
あざとさである。

飲み屋食事処では企画力も驚かせることも強要されたくはないのだ。
気に入ればまた使う、過ごしに行く。

ほらね、注文しただろうなんて、若造たちに裏で解説されたくはないのだ。

洒落た店に行こう、それは店でなく自分たちが洒落を分かることが必要な
のだ。


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