2008年11月01日22:27
本来は酒党である。
もちろん日本酒、などと野暮なことは言わず、酒といえば酒である。
一升瓶があれば言うことなし、なければ旅先のワンカップ、深夜のコンビニで
買う小さな箱の酒でもかまわない。
うっ!と言い、喉を通し、鼻に抜いて楽しむ香りの酒である。 のだが・・・
最近は先達にならってウィスキーを始めている。
もう随分、角を空にしている。 それも一杯か二杯の寝酒であり、22時台から
はじまるNHKの番組を静かに一人で観る時に愉しむのである。
本来はロックアイスがよいのだが、そうは毎日コンビニに寄るのも面倒だから
冷蔵庫の製氷皿でつくる氷で充分なのだ、たかだか寝酒である。
氷をカラカランと入れて角を注ぎ、カラカラッツと手でゆすれば氷が厚いロックグ
ラスの中に沈む、そこに氷を足せばできあがりである。
白い布か白い皿の上に、肴を置き、ロックグラスを置くのが美しい。
琥珀色のウィスキーがコロロンとそこにある。
強いほどうまいのだが、角は適度かつ香りすぎず、残った漬物を肴にして充分
である。
時々、カラカランとグラスをゆさぶっては愉しみ、またゴクリと舐め、ぐっと喉を通
しては愉しむ。
NHKの夜は、茂木あり、太田あり、谷ありと楽しい、どれもが角の肴になり、お
脳をとけさせてくれ、ゆるりと眠気を誘ってくれる。
それでも、最後の一瞬に残りをゴクリと愉しむことだけは忘れない。
最近は眠りにつく前の本が進まない、1ページの数センテンスのみで、ハタリと
本を落とし、眠りに落ちる。
ウィスキーはお好きでしょ、なるほど、好き、なんて考える前に眠っている。
そして、また今日、ウィスキーはお好きかなと思うのである。
ウィスキーを溺愛すると、酒の嫉妬も怖いものである。 男はバランスなのだ。
愉しみを一杯≫
カテゴリー │イチロー的ココロ
本来は酒党である。
もちろん日本酒、などと野暮なことは言わず、酒といえば酒である。
一升瓶があれば言うことなし、なければ旅先のワンカップ、深夜のコンビニで
買う小さな箱の酒でもかまわない。
うっ!と言い、喉を通し、鼻に抜いて楽しむ香りの酒である。 のだが・・・
最近は先達にならってウィスキーを始めている。
もう随分、角を空にしている。 それも一杯か二杯の寝酒であり、22時台から
はじまるNHKの番組を静かに一人で観る時に愉しむのである。
本来はロックアイスがよいのだが、そうは毎日コンビニに寄るのも面倒だから
冷蔵庫の製氷皿でつくる氷で充分なのだ、たかだか寝酒である。
氷をカラカランと入れて角を注ぎ、カラカラッツと手でゆすれば氷が厚いロックグ
ラスの中に沈む、そこに氷を足せばできあがりである。
白い布か白い皿の上に、肴を置き、ロックグラスを置くのが美しい。
琥珀色のウィスキーがコロロンとそこにある。
強いほどうまいのだが、角は適度かつ香りすぎず、残った漬物を肴にして充分
である。
時々、カラカランとグラスをゆさぶっては愉しみ、またゴクリと舐め、ぐっと喉を通
しては愉しむ。
NHKの夜は、茂木あり、太田あり、谷ありと楽しい、どれもが角の肴になり、お
脳をとけさせてくれ、ゆるりと眠気を誘ってくれる。
それでも、最後の一瞬に残りをゴクリと愉しむことだけは忘れない。
最近は眠りにつく前の本が進まない、1ページの数センテンスのみで、ハタリと
本を落とし、眠りに落ちる。
ウィスキーはお好きでしょ、なるほど、好き、なんて考える前に眠っている。
そして、また今日、ウィスキーはお好きかなと思うのである。
ウィスキーを溺愛すると、酒の嫉妬も怖いものである。 男はバランスなのだ。