2008年11月03日10:23
焼き物は全て「のようなもの」として存在します。
焼き物は大きさもカタチもさまざまな手でつくられるものです。
大きな手でつくられたもの、小さな手でつくられるもの、カタチもさまざまで
大きな手で小さなものを作ったかもしれません。
小さな手で大きなものを作ったのかもしれません。
焼き物は使うものとしてつくられています。
それは全て「のようなもの」としてつくられ、手から手へと渡っていきます。
私たちは「のようなものだなあ」と思いながら、それを使います。
そこにはルールなどなくて、たとえ丼のようなものに醤油を注してもいい
のですし、皿にご飯を盛ってみてもいい。
使う器は、手にした人の手に馴染み、どのようにも使うことができます。
大切な出会いから関係がはじまる一つの器と人、そこになにがはじまる
のが知りたくて、本当に手に馴染むように使ってもいくのです。
大きな器でいただくもの、小さな器に盛ってしまうもの。
どのようなものか、確かめていくのです。
※写真提供:「Round table」ギャラリー通信!どの
のようなもの≫
カテゴリー │焼きモノ書き
焼き物は全て「のようなもの」として存在します。
焼き物は大きさもカタチもさまざまな手でつくられるものです。
大きな手でつくられたもの、小さな手でつくられるもの、カタチもさまざまで
大きな手で小さなものを作ったかもしれません。
小さな手で大きなものを作ったのかもしれません。
焼き物は使うものとしてつくられています。
それは全て「のようなもの」としてつくられ、手から手へと渡っていきます。
私たちは「のようなものだなあ」と思いながら、それを使います。
そこにはルールなどなくて、たとえ丼のようなものに醤油を注してもいい
のですし、皿にご飯を盛ってみてもいい。
使う器は、手にした人の手に馴染み、どのようにも使うことができます。
大切な出会いから関係がはじまる一つの器と人、そこになにがはじまる
のが知りたくて、本当に手に馴染むように使ってもいくのです。
大きな器でいただくもの、小さな器に盛ってしまうもの。
どのようなものか、確かめていくのです。
※写真提供:「Round table」ギャラリー通信!どの