白い靴下は似合わない

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白い靴下は似合わない

1970年代の原宿、高校時代の夏休みを東京の友人宅で過ごし、美大受験
の夏季講習をする友人と別れ、一人原宿を目指しました。

ギターが弾ける程度で音楽家気取りの高校生は底が10cmもある靴をはき
脱げば裾を引きずるベルボトムのジーンズにTシャツ、髪は初めてのパーマに
失敗して雷さまのような頭をしておりました。

こんばんは、音楽夜話の時間です。

原宿は当時の若者文化の中心地、音楽も踊りもそこから生まれ、表参道や
裏の竹下通りには若者があふれるように歩いておりました。

誰もがフォークをした時代に、原宿は”風の街”であり”ペニーレーン”がある
街として、歩くだけで世界の中心にいるように思ったものでした。

その原宿駅からすぐ、表参堂を見下ろす歩道橋がありました。
その歩道橋から通りを眺めて、何時間も楽しんでいた。

まさにその空気に触れているだけでも、原宿という風の街を感ずることがで
きたのでした。

フォークばかりしてても、高校生なら格好の悪い恋もして、一人傷ついては
レコードをかける。
その頃の失恋や恋の苦しみの薬はまたフォークソングを聴いてさめざめと
泣くことなのでした。

ミーハーではないから、その頃のアイドルなどは知らないふり(実際にはし
っかり知っていた)をしていて、歌謡曲などとバカにする。

そんな青年たちの耳に流れてきたのが「白い靴下は似合わない」という失
恋の歌でした。
時代をつくるフォーク青年たちには、その音が歌謡曲ではないと聞き分ける。

荒井由美の作詞作曲で作られたアグネス・チャンの歌だったのです。

曲は「歩道橋の上で寄り添って、並木道見下ろして」と歌う。

この景色はまさに夏に見た原宿の歩道橋が描かれていたのでした。

今晩は、そのアグネス・チャンで「白い靴下は似合わない」をお聴き下さい。

・・電話の前から離れられないの・・・こんな歌詞の頃に青春を送りましたね。

今では、常に携帯に監視されている。

恋も電話もあまりにフィットすると、「うざく(使ってみたかった)」なります。
大切に思いつつ、適度に自由がよい。

白い靴下の頃、白いスニーカーの頃、僕らも原宿の中心にいたのです。


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