もっと開高健

カテゴリー │深遠なる缶詰デスクから

もっと開高健

昨日、ウサギと車と美味い物のもっちぃさんの記事を読み、そうだ!と目覚めた。

オーパ!もっと遠くなど釣行をしながら世界を旅した開高健さんに影響されて釣りに
興味を持った。

かといっていつもの伝で”する”わけではなく読み、見て、語る。どこまでも我が人生
は第三者であり、人が楽しむのを見るのが好きだ。

最近自分を「モノカキ、モノトリ、モノカタリ」などと評しているのだが、自分のこともこ
うして分析するくらいだから、人のことはもっと楽しい。どこまでも伝える人なのだ。

ときに、開高さんとの出会いはアラスカから南アメリカの南端まで釣り下がるなどの
冒険釣行にも驚いたのだが、その前にその独特の表現に驚き、楽しんだ。

釣り人とは釣れない時間を哲学するものであり、焦燥し、耐え、絶望する。
砂漠のように体と心が乾きながら限界まで待つ。

そこに砂漠に落ちる一粒の雨のように、小さな望みが生まれ、その瞬間に爆発する。
フィッシュオン!である。
うまく書けないのだがそんな表現をする。

男たちの狩猟本能をDNAが持つ遠い過去の記憶までたどって書き、それが男なの
だと言い切る書き口が好きだった。
彼はそこまで分析してなお、「汝偶然の子よ」と自らに語りかける。

母の胎内に偶然の一等で生を受け、我々は生まれたと言うのである。

混沌の中で暮らし、内なる闘争心を隠して生きている我々が、自然の中に生そのも
の爆発として生きる魚に触れれば目覚めるという。

確かオーパ!は週刊誌の連載で毎回写真とともに紹介された。
都会の飼いならされた偶然の子たちに、砂漠の雨となって読まれた。

カナダ・アラスカ編だったろうか、氷河がえぐったフィヨルドの湾沿いに孤立して住む
夫婦を彼が訪ねる。

夕食にクラムチャウダーを作ろうと、バケツだけを持って夫婦は海岸に出る。
バケツに海水を汲み、海岸の砂にぶちまけるとゴロゴロとアサリが顔を出す。
あとはそれを拾うだけである。

そんなくだりを読んだ、アラスカ・カナダへの思いが爆発し、地図で見たことも無い北
カナダを旅してみた。

開高無き後に、あの文体に会えなくなった。そしてまた混沌の中に埋没して我々は
焦燥して生きる。

釣りは爆発である。フィッシュ!した瞬間に沸騰する心である。
我々のDNAは一年を通じて働き実りを待つ勤勉さを持っているが、その実、狩猟を
求めている。

一瞬の爆発でフィッシュオン!「汝偶然の子よ」と我らは獲物を狙って野を行き偶然
なる生を待つ。

オン!の瞬間にアドレナリン放出のスイッチを入れ、湧き出る快感を得るのである。


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この記事へのコメント
コメントありがとうございます。
さすが!もの書き(笑)開高先生の様な文体!ちょっと感激です。
で!イチローさん、機会があれば、爆発とアドレナリンの噴出を体験してみませんか?めっちゃいいポイントがあります。
是非、開高先生が夢中になった世界をちょっと覗いてみませんか?
明日にでも、オーナーメールしますね。
Posted by もっちぃ at 2007年08月02日 00:50
もっちぃさん、コメントありがとう。
お恥ずかしい・・とてもとても、アドレナリンいいえすね。
またご連絡お待ちしています。まったく竿を使ったこともないんです。
ゆえに哲学者^^
Posted by イチロー at 2007年08月02日 10:15
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    コメント(2)