下町の太陽

カテゴリー │音楽夜話

下町の太陽

こんばんは、本当に久しぶりの音楽夜話の時間です。

昭和30年代に生まれた者は、先輩である20年代生まれの人に習い、社会で
生きる。
昭和という時代は、まだ貧しさと物のなさがある時代で、それゆえに夢も大きく、
どんな仕事にもつけるという夢を持っていました。

30年代が働きに出たのは昭和50年代初頭、上京し、下町に住み、その人情
溢れる町で始めて社会というものを知ったのでした。

勤めた店は、昭和どころか江戸を残すうような家、おやじさんは趣味で獅子舞
が出来、祭りとなればお囃子道具を自らの家から出すような家で、顔も広い。
下町に住む人は、一銭にもならないことも、義理だ、顔だで奔走するのであり
ました。

そんなおやじさんに持ち込まれた話が、芸術祭大賞を受けた渡辺貞夫、通称
ナベサダさんの受賞パーティで獅子舞を踊るという話でした。

出入りのお囃子の師匠や弟子たちを呼び、獅子舞道具を持って帝国ホテルへ
行く中に、荷物持ちとして若い衆の自分も含まれておりました。

パーティ会場は活気に溢れ、進行とともに獅子舞の出番が近づきます。
お囃子の師匠は日本の名サックスプレーヤーの前で笛を吹くなんてと言い。
それでも下町っ子の気風で出てゆく時にはシャキッと背を伸ばして出ていき
ました。

荷物持ちの自分は、立食パーティの場で待てと言われ、招いていただいた
人に「若い衆さん、こちら」と会場に入れていただいたのです。

その席に見たこともない美しい女性が立っていました。
その人は、映画やテレビでみる倍賞千恵子さん、その人でした。

映画スターなどに会ったこともない自分は緊張し、目の前の見たことがないよ
うなご馳走にも手を伸ばすことができませんでした。

倍賞さんは、そんな自分を気遣い、「こんばんは」と挨拶してくれ、荷物持ちで
来たことなどを聞いてくれました。

その時から、倍賞さんが一番きれいな人だと思い続け、彼女のやさしく気高い
歌を聴くと、あの日の美しいドレス姿を思い出すのです。

まだ昭和の頃、何にでもなれた頃、倍賞さんは若者の夢を歌声に乗せて歌っ
ていたのでした。

それでは、今晩は倍賞千恵子さんで”下町の太陽”をお聴きください。


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