2010年02月10日
サイダーとコーラ

朝のテレビで男子が好きな飲み物の変化としてコーラとサイダーを取り上げ
でいた。
かつての男子は濃くてワイルドなイメージのコーラが好き、イマドキの男
子は爽やかでやさしいイメージをなサイダーが好きと言う。
ときどき「炭酸」が飲みたくなるとコンビニや自販機でコーラを買う。
高校時代は炭酸は毎日の「昼間」の飲み物で、コーラだけでなく好みの
「ファンタ」があり、「グレープ」あたりがシブかったことを覚えています。
あの巨大な1リットルボトルを飲み干してしまう炭酸好きでもありました。
時は移りコーラは「脳が溶ける」なんて噂が出たり、中年となればアメリ
カ人がマックで巨大サイズのコーラを飲んで太るのだと報道されて避けるよ
うになる。
ところが嗜好品のようにコーラは時々誘惑してくる時に「ゼロ」カロリーが
出て再度「ワイルド」な
選択ができるようになったのでした。
じつは外では普段酒を飲まないことにしていると飲み物に困る。
酒の肴となる料理にはウーロン茶が用意されがちだが、決してうまくはない。
そこでコーラを選ぶとちょっと味が勝ちすぎてしまう。そこでサイダーとい
う選択肢を選べば意外に合うのであります。
やさしい炭酸とさわやかに口を洗い、料理の邪魔をしないサイダーはこの
ところのブームとなっている。
アノコロ男子も成長し(腹周り)濃くてワイルドでは生きられない。
イマドキ男子のように爽やかに生きなくてはならない。
サイダー中年となって周囲の肉食たちを眺めてニコニコしているのも今の
生き方なのでであります。
2010年02月09日
シャケ乗せメシ

シャケを焼いては弁当に入れてくれた学生時代には塩が強いものばかりで
やたらに塩辛かったシャケも、物流の発達だからでしょうか減塩化でしょう
か、塩ははんなりと薄く、肉やわらかくて身離れがよく味が深いのです。
おかずとは飯をうまくするものでなくてはいけませんが、うま過ぎてもは食
べ過ぎてしまう。
塩もおかずもよい加減がございます。
シャケを食べ飯を食べ茶を飲み野菜をいただき、一膳を楽しむのです。
テレビは天下の美食を放映していますが、食べたことも食べるようなこと
もないものより塩辛かった思いでを語り食べるシャケ飯がうまいのです。
半分まで食べすすみシャケをほぐして茶を注ぎシャケ茶漬けとする。
サラサラと箸がチャンチャンとなりましてお茶も飯もおしまいとなる。
用意していただいたものを全ていただけば母の笑顔が見守っている。
シャケ乗せ飯一膳の終わりでございます。
ごちそうさまでした。
2010年02月09日
はまぞう事務局訪問

「是非お越し下さい」とお招きいただいたのは私たちのブログの環境を提供してい
ただいている”はまぞう(シーポイント)事務局”の新村しおりんさんです。
今年で第7回(9月11日12日)を迎える浜名湖フォークジャンボリーの実行委員と
して広報・環境面でご協力をいただきたいとはまぞう事務局をお訪ねしました。
はまぞうは浜松を中心に静岡県西部をカバーするブログポータルサイト、最近は
ビジネス面でのサポートにも力を入れてくれる地域商業情報活用の相談窓口と
しても大きな期待をされています。
対応いただいたのははまぞう事務局の新村さん、じつは先日はまぞうとコラボす
る浜松のコミュニティFM、FMHaro!の番組出演をお誘いいただいたご縁で、今日
の訪問が実現しました。
若い新村さんですが、じつははまぞうがこの地域に生まれる前からシーポイント
のスタッフとして活躍されていて、この地域ブログポータルが育ってきた経緯を知
っていらっしゃる。
はまぞう初年度に参加した僕としては懐かしい(今の時代、5年は一昔)お話など
も含め盛り上がってしまいました。
「浜名湖フォークジャンボリー」の心を広げるご協力のご検討をいただけることとな
りました。
新村さんと一緒に写るのは浜名湖フォークジャンボリー第5回の実行委員長の中
村さん、今日は重鎮のお供で、はまぞうの重鎮にお目にかかれました。
さてはまぞうと浜名湖フォークジャンボリーの連携にご期待下さい。
「心広げましょうね」と励ましをいただき、ますます記憶と記録に残る日本一のフォ
ークジャンボリーの今年を作り上げねば!とおじさん二人は奮い立つ!
「いつでも遊びに来てくださいね」とおっしゃる新村さんにポスターと幟旗を持って
の再訪問の約束をしてきました。
新村さん、今日はお時間ありがとうございました。
2010年02月09日
藍媚茶あいこびちゃ

色はその色を見ることよりも、名づけられた名を見て「ほう」と思うことが多い、どうして
名づけられたのかと想像してみる。これも色を見る楽しさのひとつです。
日本の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかと挑戦しています。
今朝の色は藍媚茶(あいこびちゃ)です。
媚茶に藍がかかって藍媚茶となりますが調べてみますと「江戸時代、大坂の歌舞伎役
者、二代目嵐吉三郎が好んだことで有名」なのだそうです。
どの時代にもファッションリーダーがいて伝えられた色であることがわかります。
「あいこび」とは字面から中々の色っぽい名だだと感じるのであります。
媚は「女の眉」と書きますがさて、愛しい男を前にしてしなをつくり甘えても見るときに
ちょいと眉を下げて憂いを表してみる。
「さみしいわ」などと表情を作ってみますと、世の大抵の男はほおってはおけません。
眉だけで男たちを動かしてしまいますから、鼻で使うなんて失礼なこととは違いまして
「喜んで」男たちは使われてしまいます。
「こび」は手管ではありますがその前に「あい」があればこそ。
男と女の機知とはなかなか難しいものであります。
2010年02月09日
レンゲはじまりました

毎年2月になれば田の日溜まりを探しては花を待っています。
南に向いている畑の土手に今年一番のレンゲの花を見つけました。
レンゲの花は子供らの友達でした。冬が終わり田んぼ一面に咲く花の道を
歩いて通学する道すがら、僕らは珍しい白いレンゲを探します。
帰りには田んぼのレンゲの中を横切り、その緑の中に寝転んで空を見上げ
ます。
なんとも言えない緑と草いきれの匂いの中で遊んでいたのです。
レンゲと共に育つ草の芯を抜いた草の筒笛をピーピーと鳴らして遊んだのです。
レンゲの花咲く春がやって来る。
レンゲと目線が近かった頃を思い出すのです。
2010年02月08日
枇杷茶びわちゃ

色の話をしようと色の名を眺めているうちに連想は広がってくる。特に身近な経験
があるならばなおさらでそれをどう伝えようかと考えている。
日本の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかの挑戦をしています。
今朝の色は枇杷茶(びわちゃ)です。
風薫る五月から六月に実をつける枇杷、なかなか高級でデパートの地下などでは
名産地から宝石のように扱われる箱詰めが並べられている。
同じ季節のさくらんぼと同じように高級なものは口に入らない果実です。
調べてみると枇杷はバラ科なのだという。
みなさんは川原などの荒地に咲く野バラを見たことがあるでしょうか、目立たぬ花
の季節が終ると冬に小さな実をつけていますが、そう思えば形も枇杷に似ている。
赤や緑がまじった小さなバラの果実を瓶にいっぱい摘んだことを思い出しました。
枇杷をいただいても子供の頃は「腹を壊すから」と一つくらいしか食べさせてもらえ
なかったのはさてどうしてだったのでしょう。
親の注意を聞いて育ったから今も枇杷は一つにしておこうなんて思うのです。
そしてまた子に伝えている。
迷信だとはいえ古く伝えられたことにはなんらかの意味がある。
もしかしたらあの果肉のみずみずしさ美味しさは大人が独占するものだよという
教えなのかもしれません。
そういうことは調べてはみない、これも大人の知恵というものではないでしょうか。
2010年02月08日
早い春の木瓜

喪った悲しみを癒すには時間がかかるんだよと常に教えてくれた人が、喪っ
た悲しみの中にいます。
とてもとても長生きなお母様でしたが、子にとって母はいつまでも母で、母に
とっては何歳になっても子なのです。
年齢など親子の間にはないのです。
喪うことで知ることが多くありました。一番大きなものは誰でも何かの悲しみ
を抱えているのです。
人は誰でも幸せそうに見えるのですが、ふと聞けば誰も悲しみを持っている。
今の悲しみ、過去の悲しみ、今後も続く苦労であったりします。
どの悲しみや苦しみが大きいのかなど、誰もわかりはしないのです。
人はその人の悲しみの本質には近づけない、その重さを知ることができませ
ん。でも自分の悲しみを考えればその悲しみを想像することができるように思
うのです。
一番寒い季節の公園には色がありません。
冷たすぎて歩く人もまばらな公園には色がありません。
思い出して裏口に行けば足元に冷えの中に鮮やかな木瓜(ぼけ)の花が咲
いていました。
冷たい風の中でくっきりとやさしく、まるで包み込んでくれるような紅い色をし
ています。
白い顔に真っ赤な紅、その色にほんの少しの暖かさを感じたくて木瓜の傍ら
にしゃがみこみます。
悲しみは時間がこなくては癒えることはありません。たとえ癒えたとしても
思い出してあげるのが供養になったりもするのです。
花を供え、手を合わせ、いつまでも覚えているよと石の前に座り、話題にして
は寂しくなるのが供養だったりするのです。
春はすぐそこにあります。でも春までにはまた冷たい風を感じなくてはならな
いのです。喪った者の代りに春を迎えればきっと少しの間、暖かくなるように
思うのです。
2010年02月07日
蜜柑と食生

芋虫は葉っぱを食べて太るのだけれど、52歳の男はこのところ蜜柑を食べて
ばかり居る。
苦手だったものをある日食べてみると以外にうまいことに気づき、内緒で
好むようになり貪る。正月前から蜜柑があれば食べている。
蜜柑などと思うのだが、これはアイスが食べられるようになったよりも大
きい、親戚を訪問すると茶と蜜柑が出るが、蜜柑を食べないと茶ばかりを
注ぎ足される。
蜜柑を食べていれば間が持つのである。
八朔などもらうと男共は食べないから母は次々とむいてはガラス鉢に入れて
砂糖をかけておく、すると父が食べるが長男は食べないこととしていた。
のだが・・意外にうまいのである。
書きながら思い出したのだが子供時代は確かに食べていたはずが、しゃれ
ものになった高校時代に皮をむくと爪が黄色くなると聞いた。
以来苦手としたのでした。
東京の下町に修業に出たから毎日魚を食べる下町のご飯に慣れて魚が好きに
なった。
魚が好きになると種類毎に料理法が工夫されているから尽きることない鉱脈
に当たったように興味が尽きないのだが、蜜柑のように食べないことにして
いたものを「試して」みると「好きかも」しれないとも思う。
世に蜜柑類はどれだけあるか?
皮をむくだけで(もうしゃれても仕方ない)爪や指に香りが移ってうれしい。
蜜柑大好物になったついでに食べないでおいた物に手を出そうなどと考え
ている。
意外にあって楽しみみつけなのである。
蜜柑いもむしはムシャムシャと食べている。皮を向こうにあるゴミ箱に
シュートしては「うまい!」などと言っている。
左手は添えるだけなのである。
2010年02月07日
永遠の春を待つ落陽

浜松市浜北区にあるプレ葉ウォークは元のアピタ浜北が増床したショッピングモール
で正面口から入ったスペースにライブ用のステージを持っています。
ここで本日13:30と15:00に2ステージを行ったのは浜名湖フォークジャンボリーの舞台
監督を務める名倉さん率いる名倉バンドです。
浜北出身の名倉さんはフォークに限らずポップスまでをこなし、自らのバンドだけでなく
多くのバンドを育てていることで「親分」と慕われています。
さてステージの前に用意された椅子は70名分ほど、浜北の有名バンドであり、普段
から多くのステージをこなす名倉バンドにはキッチリとファンの応援があります。
あまりに事前に座りはじめる人が多く、会場では椅子を増やして対応しました。
吉田拓郎を師と仰ぐ名倉さんのバンドのレパートリーはもちろん吉田拓郎ナンバーを
聞かせてくれますが、もう一人のヴォーカルはフォークジャンボリーでは「花黒子」で
活躍する「かおりん」さんは「手紙」や懐かしいポップスの「悲しき天使」を歌い、手拍
子を誘っていました。

昨日は今年の浜名湖フォークジャンボリー(第7回)の第1回実行委員会が開催され、
今年から広報担当の一人として参加することになりました。
名倉さんは実行委員の重鎮、お話を聞けばさまざまなプレイベントを行い盛り上げて
行きましょうと頼もしい話しを聞かせていただけました。
昨年は48ものバンドや個人が出演したジャンボリーですが、まずは4月のエントリー
の募集からが私たちの仕事です。
名倉バンドを見て、またフォークの楽しさを知ったのは椅子席を埋めたお客さん、立ち
見で手拍子を打つお客さん、通りすがりに懐かしい「春を待つ手紙」や「永遠の嘘を
ついてくれ」、「落陽」などを聴いて立ち止まるお客さま、どの顔も私たちと同じ歳をと
ってそこにいるのです。
客席の中に昨日ウィングギターサークルで出合ったご夫婦がいらっしゃいました。
ギターをはじめ、ご夫婦で楽しむこと、懐かしい歌本を開いて二人で楽しむだけでな
く、フォーク仲間としてこのライブを聴きにいらっしゃったのです。
5周年記念誌にも「夫婦デュオ」の座談会を掲載しましたが、きっとこのご夫婦も素
敵なデュオになって出演していただけるのでしょう。
たくさんのフォークファンに9月11日12日に浜名湖ガーデンパーク野外ステージに集
まっていただきたい。そう願いながら名倉バンドを聴いていたのでした。
2010年02月07日
名倉バンドat プレ葉ウォーク

浜名湖フォークジャンボリーの舞台監督を務める名倉さんは浜北を中心に
広く音楽活動を続け、音楽仲間からは「親分」と呼ばれています。
今日は浜北区のショッピングモールプレ葉ウォークでステージを担当して
います。
年に数十ステージを行う名倉バンドにはステージを持つ店からたくさんの
誘いがかかるそうです。
吉田拓郎の歌を中心に皆が口づさめるフォークやポップスに多くのお客様
を集めていました。
2010年02月07日
桃色ももいろ

桃色という言葉を聞けばその名のとおり桃の花を思い出す、桃色は桃花色とも呼ばれ
ていたと言います。
日本の伝統色のその色と名前を見て何が書けるか挑戦しております。
連想がしやすい色でありますからさまざまなことが書けると思いながらwikiを見てみま
すと面白いことが書いてありましたので要約します。
桃色は英語に例えるとピンクと言いますが英語のピンクはナデシコの色だそうで、桃
色といえばまさに桃の花の色を言うのだそうです。
桃色といえば桃源郷、中国の故事にも表される天国のような暖かく幸せな土地をそう
呼びますが、春になりますと山梨に桃源郷が現われます。
富士から西富士道路を通り、富士吉田に至り河口湖を越えれば御坂峠、この峠を越
えますと甲府に向かって坂を下りてまいります。
そのあたりからの春景色はまさに桃源郷を思わせます(その名の公園もあり)、見晴
るかす低き山はそのまま桃の花が咲き乱れ、ピンクに煙るような景色を見ることがで
きます。
数年通いましたがなかなか今日こそがという満開には当たりませんがそれでも桃源
郷とはかくなる景色かと思うことができます。
桃の花は近くでみれば色強く少し大きくて風情に欠けますが遠くにみればまさに天上
の世界を現す景色となります。 春に一度お試しあれ、よきドライブとなりますぞ。
2010年02月07日
鯛みそトン汁メシ

ご飯と書けばやさしい感じがし、メシと書くとドカッと食べるように感じ
ます。
同じことを表すのに日本語は面白いのです。
浜松の今朝は0度に近い冷え込み、若いものは自分の体温だけで暖かく眠る
ことができますが、80歳を越え80歳も近くなった父母は一度起きると寒くて
眠れないと言います。
やがて行く道ですが老いとは寒さを厳しく感じることと知るのです。
父は食が細くなり好みのものが少なくなりました。その中でも桃屋の鯛みそ
が好きですから常備しています。
やわらかいお煎餅を食べ、甘いお菓子は少なめにして少しづつ何回もに分
けて少しづつ食べるようにしています。
老いは誰にもやってきますが心元気にすれば心が衰えることはありません。
歳よりと住むことで私たちは自分が進む道を知ることができます。
心を知ることでまだ時間のある将来に取り組むことが出来るのです。
早起き班は母と二人、父の子も鯛みそが好き、ひと晩置いたトン汁は味を
深めています。
温めて汁を飲む父はきっと土の野菜の栄養を少しづつとることができるで
しょう。
寒い時は体を中から温めて出かけます。まだまだ若いことを自覚するのです。
2010年02月06日
トントン汁

「寒いからトン汁にしようね」と母から大好物の予告があったから、子は
寒さの後の楽しみにしていた。
出てきたのは大鍋で煮込んだ湯気までおいしいトン汁です。
寒い時期の野菜を煮込むのがおいしい。特にゴボウは土そのものの栄養を
感じて温まるのです。
汁物のマイブームは七味唐辛子たっぷりかけです。
浮いている七味が海老芋のとろり溶ける甘さを引き立てます。
土のゴボウは七味に味を加えてくれます。
煮込んで甘い紅一点のニンジンはさらにやさしくなるのです。
味噌は沢山の野菜を煮出した味を加えています。食べ飲みすすめばトン汁は
辛さを増していきます。
飲むほどに体が火照り、頭から湯気が出るように思うほどです。
「今日は寒かったね」と言う言葉も辛い美味さに溶けていきます。
トントン汁なんです。
お代わりして二杯の七味トン汁をいただきます。
外は寒いのですが湯気をあげているホカホカ男になりました。
「何杯でもおあがり」と大鍋の向こうに母がいるのです。
子はうれしくてもう一杯食べようかなあと思うのでした。
母さんごちそうさまでした。明日も食べようね。
2010年02月06日
古い歌本今の青春

昼間のウィングギターサークル見学後のスナップです。
今日の教室には浜名湖フォークジャンボリー実行委員の心太(トコロ・テン)
さんこと村上サードんがゲスト講師を務めした。
初心者の皆さんが回をおうごとに上達する教室はギターの合奏で進めていま
すが、今日はテンさんの歌付きとなり伴奏する楽しみとなりました。
昨年のフォークジャンボリーでは場外の東屋で休憩する出演者やスタッフと
煙草場倶楽部をつくり盛り上げたテンさんはすぐにファンを作ってしま
います。
教室終了後、こんな歌本を持ってくるんですとテンさんに駆け寄ったファン?
と記念撮影です。
「もう何年もフォークジャンボリーを見に行っています」という生徒さん、
仲間と一緒に今年は出演を目指します。
テンさんときっと会えますよ。古い歌本で歌う歌は青春を蘇えらせてくれま
きっと出演くださいね!
2010年02月06日
ギター教室の10 人

午後からの浜名湖フォークジャンボリー実行委員会を前に、事務局長である
「フォークソングな日々」こと吉田KAZさんが講師を務める「ウィングギターサ
ークル」の教室の見学に来ました。
8人の生徒はみなフォークを聴いて青年時代を過ごした世代、講師生徒も
同じ歌を楽しみながら伴奏を練習します。
乾杯、翼を下さい どの曲も歌詞をみなくても歌えます、歌えたらギター
もついてくる。
合奏の楽しさを覚えたら上達も早いのです。

フォークジャンボリーに出ようよ 生徒たちから声があがります。
ギターの上手下手などジャンボリーのエントリーには関係ありません。
皆で一緒に歌い弾こうよ、その思いさえあれば誰でも浜名湖ガーデンパ
ークのステージに立てるのです。
久しぶりに沢山の人がギターを合奏するのを聴き、これからバンドができ
るんだなあと思う。
ウィングギタースクールの皆さんから新しいエントリーがありますように
と思います。
2010年02月06日
浅紫あさむらさき

色を染めるには多くの染料の元となる原料がある、それは野の草であったり栽培される染料
専用の植物であったりします。
日本の伝統色のその色と名前から何が書けるか挑戦しております。
今朝の色は浅紫(あさむらさき)です。
紫は高貴な色であることは、お坊さんの袈裟の色が紫が高位を表すと聞いておりますから、
さて告別式などに参りますと気になって仕方ありません。
浅紫の原料は紫草(むらさきそう)だそうでこれに椿の灰汁と酢で色を出すのだそうです。
草を摘み、庭や山の椿を燃して灰とし、酢で鮮やかさを出す、どうやら染めている時の匂い
まで感じてきそうに思います。
一度ここ浜松の伝統産業である注染(多く手拭などを染める工法)の工場に行きますと酢
のような刺激臭がしていた。 今も酢は染めに使われているのでしょう。
この薄い紫は有名な辻が花の紫と同じなのだそうです。
参考にした先のサイトは言う、江戸時代に流行した江戸の紫を江戸紫と言い、赤みが強い
紫を京紫と読んだ。
時代と場所で色の使い方が違い、また流行色が生まれて伝えられている。
生活する地は着る人の気風も変わりますから、色の流行が違うというのも面白いものだと
感じています。
2010年02月06日
海苔泳ぐ海

朝一番の仕事は母から渡される炙り海苔を切ることです。
NHKの「プロフェッショナル」で寿司職人が丁寧に仕事する様子を見て、母
はガス台で丁寧に炙ります。
それを渡された弟子としてパリパリの海苔を丁寧に折り割るのが仕事です。
その一枚をまた半分にして母と自分の味噌汁の椀に揉んでいれたら出来あ
がり。食卓に浜名湖がやってきます。
浜名湖に立つと遠く海の匂いがする。それは海苔の匂いに似ています。
朝味噌汁の中に浜名湖が出来上がり、おいしいね、おいしいねといただき
ます。
今日は移動の多い日です。浜名湖海苔のおにぎりをねだります。
一枚の半分を巻いた大きなおにぎりは握ってもらう時間をリクエストして
います。
出かける直前に握り、海苔を巻いてもらったおにぎりは車の中を海にして
くれます。
その香りに包まれて出かけるうれしさは格別の幸せです。
浜名湖雄踏で育った伯母からいただいた浜名湖海苔は朝の幸せをいただいた
ものでした。
伯母さんありがとう。
2010年02月05日
飛びつづけるひばり

もとより心震わすことが好きな男は疲れるとシャンソンに逃げ込む。
まだ若き20歳の頃、仕事場のラジオから流れてきたNHKの番組で金子由香利
さんのシャンソンを知った。
まだ人生の何をも知らないのに心動き震えて涙した。同僚も先輩も同じように涙
していた。誰も彼もまだ先も知れない青年であった。
先日NHKで岡林信康さんの番組を見た。
フォークの神様などという讃えられた彼は音楽界を去り田舎で農業をしていた。
その時、日本人に土着しているのは演歌であると彼は思い2曲の歌を書いた。
そしてその歌はかの美空ひばりに歌われることとなった。
彼はその後また歌い出すこととなった。
美空ひばりが残した詞に彼は歌をつけた。そう紹介されたように思う。
その歌は美空ひばりに捧げるものとして彼が歌い、また美空ひばりの歌を彼は
カバーしたアルバムを発表した。
リアルタイムで岡林信康を知らないから、その有名なる「山谷ブルース」や「友よ」
を生で聴くことも心響かせることも知らない世代は意外なる美しい心と声で歌う
岡林を初めて聴いた。
彼はシャンソンのように歌った、もちろん伴奏のピアノが思わせるものでもあった
が彼はまるでひばりに聞かせるように歌った。
それはいつまでも歌い続け歌に人生を捧げた人への歌でありました。
岡林信康は人生を歌う、それはシャンソンを始めて聴いた20歳の頃にふるわせた
心を思いださせてくれるはじまりだった。
すばらしいこの歌の音源を紹介したくてYoutubeを探した。
果たしてその歌はあり、また心を動かしてくれたのでした。聴いてください。
岡林信康 レクイエム~麦畑のひばり~
2010年02月05日
in the ダウンタウン

「in the ダウンタウン 街角には気の早い若者たち」
歌や曲の話を真夜中に書いてみる。そんなことを続けていた「音楽夜話」もちょっと
筆が重くなったのは歌(歌詞)の一部に響いている自分がいたから、歌に歌われる
景色の一部に自分をなぞられていることに気づいたのです。
というわけで新しいカテゴリーは「お歌詞のかけら」としてみました。
これならば記憶の中にいくつものかけらが散らばっている。
ブログを書くのにあたり、書きやすいテーマを見つけるのが楽しみの広がりとなる
のです。
ちなみにこの歌詞は太田裕美さんの「南風」という歌の一節です。
ダウンタウンという響きが軽快なこの歌、ダウンタウンとはwikiってみますと「繁華街、
都心部、あるいは商業地区(オフィス街、ビジネス街)。→繁華街、中心業務地区)」
となる。アッパーではなく少しゴミゴミと猥雑ながらエネルギーを感ずる街ではないか。
そこには季節など待ちきれない若者がいるんだよと作詞家の松本隆は言うのです。
街は中心となる世代をどんどんと低くしてきた。今や若者たちのものとなっていますが、
街の歴史を積んできたのは過去の世代、今も変わらぬダウンタウンを歩けば私たちが
作ってきた街を見つけることができるのです。
街の一角をオトナたちが取り戻そうとしています。
多くのモールが郊外へ行き、それらは”シティ”などと呼ばれるようになりましたが、い
まだダウンタウンには歩く楽しみがある。
決してきれいな街ではないけれど、累々と人が積み重ねてきた街には発見がある。
街とは一気につくりあげられて公開されるものではなく、私たちが歩いて作ってゆくも
のなのです。
「in the radio」とラジオの天気予報がかかるシーンがありますが、車を停めてから歩く
街の天気予報を聴いている。
さわやかな風の中の街も素敵ならば、お気に入りの傘をデビューさせる雨の街も楽し
いものなのです。
心の若者には全天候な環境などはいりはしない。
街角の使いみちを知っていた私たちは今もダウンタウンを愛しているのです。
2010年02月05日
百入茶ももしおちゃ

色をつくることを初めて知ったのは小学校の図画の時間、絵の具をチューブから絞り
出して色を合わせる、そこで新しい色が生まれることを知ったのです。
日本の伝統色のその色とその名を見て何が書けるか挑戦しています。
今朝は百入茶(ももしおちゃ)です。
私たちはとても多い数を表すのに「八」や「百」という字を使います。多くの恵みを受
けるようにとお母さんの願いが「百恵」さんとなる。このような使い方です。
「百入」ではさすがに意味がわかりませんでしたが、どうやら入りを「しお」と読むの
は染物の言葉で回数を表すのだそうです。
ならば百回もの染めをして作った色というのがこの色なのでしょう。
前出に吝嗇(ケチ)な人が濃い色に染めてしまった着物を見て嘆くというシーンを持
つ色があるというお話をしましたが、薄い色に染めたものならばまた染め直して着れ
るのにと嘆くというのです。
百回もの数染めてつくられると呼ばれたこの色はもちろん濃い色をしています。
絵の具を重ねるうちにやがて暗い色となってしまうのもこれに同じ、薄い色は数を
重ねず、暗い色は数を重ねてつくる。
百とは重ねることの多さを表しているのです。










