スプリンググリーン spring green

カテゴリー │洋色字典



冬きたりなば春遠からじ、11月の末となっても本格的な寒さを感
じず、四季のあるはずの日本も温度が高くなり季節感がありません。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦しています。

今年の秋も冬も季節らしく備えの季節を続けています。
もとより好きだった町に移り、地元の新人として何もかもが珍しい
と感じ、なにをすべきかを考えては動き、一つひとつを知る生活が
続いています。

まずは一年、四季を暮らしてみなければさまざまにめぐり合うこと
もないのです。

仕事柄、常に数ヶ月後を想像しています。直前となる3ヵ月ほど後
を想像すれば今なにをすべきかがわかります。
その日に備えて一日づつを蓄積してゆくのです。

これから3ヵ月後、まだ冬ながらもう春が見えているでしょう。
その準備を整えて暖かい日を待っているでしょう。
その時にはこの町はまた季節を迎えます。
春のシーズンがやってくるのです。

秋も冬も大変でしょうと言われることがありますが、その秋冬こそ
の魅力はたくさんあるのです。
そして来シーズンを忙しく終えれば経験した秋冬の財産を使うこと
ができるのです。

一巡りまでまだ冬をこさねばなりませんが、それは充分に備えられ
る季節なのです。


 

サンセット sunset

カテゴリー │洋色字典



「歌」はその時代の体験なくとも通ずるものがある。少し背伸び
して聴いた父母の時代の歌などは私たちにも響くのである。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦しています。

先日BSの番組で男女の3~4人のコーラスが少し旧い時代の歌を歌
うのを聴いた。
その歌に倍賞千恵子さんの「下町の太陽」があり、懐かしくもすば
らしい歌だと聞きほれていた。

私たちの父母の時代、青年たちは今はもちろん、私たちよりずっと
前向きに暮らしていた。
まだまだ貧しかった日本には次世代を担う青年たちが励ましあって
働いていた。そこにはまぶしい青春があったのです。

「下町の空に輝く太陽」であったり、「下町の空をぬくめる太陽」
を歌う倍賞千恵子さんの歌は暖かく、それでいて姿勢よく歌われ
ます。青年たちの夢をその声に乗せて歌うのです。

あの時代は「三丁目の夕陽」に描かれるように今は夕焼けがかって
思い出されます。
その夕焼けには労働の汗があり、明日への夢があり、東京タワーが
確実に建ち上がってゆくような未来への夢があるのです。

久しぶりに倍賞千恵子さんに包まれたくてYouTubeでお気に入りの
曲を聴きました。
それは「虹につづく道」という曲です。

あの時代の青年たちの心を伝える倍賞さんの曲、よろしかったら聴
いてみてください。


 

スカイグレイ sky gray

カテゴリー │洋色字典



このブログの兄弟ブログに「南浜名湖あそび隊」があります。
毎朝弁天島の海の景色を定点観測ながらお伝えしています。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦しています。

海の色はいつも青いわけではありません。空の色の映す海は晴れな
らば青く、曇りならシルバーに光ります。
空も海も面白いことに光を透かした色なのです。

そこで曇りの日の海をお伝えする時に、曇りの日の街との対比をし
ています。
建物が建てこんだ街では曇りの日は明らかに景色が暗くなります。
けれども海が広がるここ弁天島では曇りの日は青空の日よりむしろ
明るく感ずるのです。

海がその光を照り返しているからです。

街は建物色に埋められていますから反射する光も弱いものですが、
海が広がる町は曇りの日はむしろ海からまぶしいほどの光を反射
して明るくなるのです。

そして春から秋まではその反射した光がまぶしい太陽と同じくら
いに肌を焼くのです。
今年は久しぶりに真っ黒に日焼けしましたが、それは曇りの日も
この海辺にいたからなのでしょう。


 

シクラメンピンク cyclamen pink

カテゴリー │洋色字典



昨日の帰り、母から海苔を頼まれてお店に行けば、もう真っ暗な
道に電飾をつけている家がある。クリスマス飾りが始まっている。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦しています。

もうあと少しで師走、年々暖かくなる秋に師走迫るを感じない。
暖かいままに冬である12月を迎え、町にクリスマスソングが流れる
だけが師走なのだと教えている。

けれどもこの季節にはポインセチアの赤い葉やシクラメンの見事な
鉢が並ぶから色では季節を感ずることができるのである。

高価なシクラメンが今はホームセンターなどの入口でも販売される
から値打ちが下がるところだけれど、もしこの冬らしくない暖かい
色が住まいにあればとも思う。

次第に深まる季節の中で色は全てが深くなり、やがてその全ては地
に落ちて土とその色に同化する。
ゆえに秋深まるとともに私たちは地に目をやるようになる。

私の師、大黒屋さんからそう教えていただいた。
そして元旦と共に光はまた縦に射し込み、私たちは天を仰ぐように
なるのである。

その境の季節に咲くのがシクラメンである。
部屋を暖かく保ちなさいよ、暖かく冬を過ごし新年を迎えなさいと
教える色の花です。

目立つ匂いはしないけれど「匂う」と歌われる花なのです。


 

シャドウブルー shadow blue

カテゴリー │洋色字典



モノの色名を決めて呼べばとても便利になる。海も空も青く、リ
ンゴは赤く、葡萄は紫である。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦しています。

ところが色は光によって変わり、同じ色でもその色が照ったり翳っ
たりすればまた違う色に見えてくるのです。

長年通った事務所を廃し、今は海辺の町でこれを書いている。
窓の外は海である。デスクから右を見るだけで海を眺めることがで
きるのだが、見る度に海の色は変ってゆく、光がまわる角度で色を
変えてゆくのである。

近隣の友人は朝と夕方の海が好きである。
海に出る日の出とその朝焼けを愛し、また夕方の海の色が変ってゆ
くのを愛してカメラを持って海に立っている。

もっとも美しい海はやはり何もかもが新しい朝なのだけれど、昼の
海はまぶしいほどに輝きすぎてとりとめもない。
けれど朝に書くのが海の青ならば、その青は一日をかけて青の色を
変えてゆき、やがて友人が好きな夕方の色に変るのである。

海の色は青とはかぎらない、おびただしい青のグラデーションでは
あるが、刹那の瞬間にその濃さをかえてゆく。
海の色とは何色か、それは海に映る空の色であり光の色である。
ひとつの色で限定することができない色である。
そして心象によっても変る色である。


 

グラスグリーン grass green

カテゴリー │洋色字典



私たちの次代、中学校に進級する時にはさまざまなトキメキを感
じたものでした。英語の授業がはじまるのです。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦しています。

英語の授業では今はもう教えない筆記体の英語表記を学びます。
ペンマンシップです。そのために新しい学生服の胸に挿す万年筆を
買ってもらうのです。

今も使うブロック体に加え、スペルをさまざまにつなげて書く筆記
体で書く楽しさは随分と大人になった思いがしたものでした。

英語の授業は「This is a pen」からはじまります。
これも筆記体で書いてみます。単語を覚えるたびに新しい筆記体で
書く楽しみが増すのです。

「英語ではRとLの違いがあります」と発音も習います。
そこでは「glass(ガラス・グラス)」と「grass(草)」の違いを
習うのです。

英語とはじつにモノマネに似て、英語の発音とは先生のモノマネで
覚えます。モノマネ得意な子は発音に優れ、照れてしまうような子
はちょっと苦手になるのです。

いまだに英語を見れば「R」と「L」が気になり「th」が得意だった
なとうれしく思い出します。

モノマネ好きな中学生はやがて中学の英語弁論大会に選ばれた。
今でも英語好きなのは、先生に選んでいただいた喜びが続いている
からなのです。


 

キャラメル caramel

カテゴリー │洋色字典



病後に食が細くなった父は通常の食事はあまり摂れず、さまざま
な菓子を食べている。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦しています。

「キャラメルを買ってきてくれ」と母を通じて父から買い物を頼ま
れる。子はコンビニなどで「森永ミルクキャラメル」を買って帰る。
それを父は楽しみに口に含んでいるのです。

便利なものでキャラメルはかつての小さな箱入りだけでなく、袋詰
めの容量が多いものを売っている。

よいかと思って買って帰れば父はそれをよしとはしない。
やはりあの小箱に入っている「森永ミルクキャラメル」がよいとい
う。食べるものは思い出につながっていて、父は小箱から出したキ
ャラメルの紙を開いて口にしたいのです。

キャラメルといえば、ぼくらの子供時代にも最もポピュラーなお菓
子で、飴玉やキャンディーとは違う、甘くとろけてみんな大好きな
ものでした。

グリコは子供たちの栄養補給にと「グリコーゲン」を混ぜたものだ
と聞きましたし、明治のキャラメルには「クリームキャラメル」だ
けではなく、あの特別なおいしさの「ヨーグルトキャラメル」もあ
ったのです。

蝋をひいたようなあの紙を開き、口に含むあの甘くとろける味は
父も子も大好きな思い出の味、父の箱からひとついただいて子も一
緒に含むのです。

「体によいから大丈夫ね」と母は父が補助に食べるお菓子を甘すぎ
ないもので選んでいる。
懐かしいお菓子もさんざん買いましたが父はやはり「キャラメルを
買ってきてくれ」と電話してくるのです。


 

リードグレイ reed gray

カテゴリー │洋色字典



私たちは弱いものの例えを多く持っています。弱きものを護るこ
と、じつは弱きものは自分自身であったりするのです。

「man is a thinking reed」(人間は考える葦である パスカル)

先人は私たちの弱さをこうたとえ、強さをも教えています。

私たちはそれぞれが風にも大きく揺れてしまうヒョロヒョロと育
つ弱い弱い葦のようではありますが、考えることができると教え
ているのです。

葦の一本は私たち一人と同じとても弱いものです。
ゆえに群れることで全体を守ろうとする。互いに根をからめて
川辺の強い風に耐える工夫をしています。

私たち一人も弱いものですから寄り添って暮らしていますが、葦
と違うのはさまざまな脅威にどう対処すればよいかを次々と考え
る力を持っています。
そして葦のように心を合わせて立ち向かうのです。

葦は屋根を葺く材料になります。私たち一本いっぽんの葦はみな
で強い雨に自然の力にさまざまな脅威に耐えうる屋根を作ること
ができるのです。

私たちは考えます。そしてお互いの弱さも認め合います。
けれど手を結べば大き力となって互いに守りあうことができるこ
とを知っているのです。



 

オーキッドピンク orchid pink

カテゴリー │洋色字典



色の名前には自然からの名づけが多い、自然の色は普遍性があり
色名を共有することが容易である。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦しています。

オーキッドとはご存知のように「蘭」のこと、それを調べてみると
蘭の特色に面白いものを見つけることがでます。

wikiは言います。

「(蘭は)被子植物の中では最も後に地球上に現れた植物である」
さらに「短期間に急速に適応放散してきたため種の間の遺伝学的隔
たりが小さく、種間雑種や属間雑種ができやすい」

私たち人間こそ地球の歴史上、最後に現れたものであるから、私た
ちと「蘭」はまだ若い種仲間であるといえます。

さらに世界に広がった種は種間雑種や属間雑種ができやすいことも
同じです。

さらにwikiは言います。

「媒介昆虫との共進化の例が知られており、現在においてもなお急
速な進化を続けていると考えられている。」

私たちは自然と共生しながら種を進化させている「伸び代」があり、
伸び盛りであるのです。

多くの人間の集合体が生まれれば国ができ、それぞれの異種文化が
育つ上でさまざまな経験する。それが歴史です。
まるで一人の人間が育つように伸び代の中で国も世界も育ってゆく。
そこには多くの失敗の経験を経ることも一人の人間にも世界にも必
要です。

けれども失敗を繰り返さぬように学ぶのも異種同士が共存する人間
には必要なことです。
そして「異種」だと思っていた同士がじつは同じ種を持ち、同じこ
とを考えていると知ることになります。
異種ですが、共通のさほど違わない種であることに気づくのです。

私たちは一人ではありますが、それは人間という同じものです。
その考えることは同じ人間であればさほど変らないことに改めて気
づくのです。

誰もが平和なる一日を望み、家族を守り、勤勉であろうとする。
この基本のもとに全てが種を繁栄させたいと誰もが思っているなら
ば、そこに「同意」が生まれるのです。

地球に現れた最後の種、まだ若い種の私たちは蘭のように共存しな
がら地球環境と共生していきます。
そこに私たちは伸び代を残しているのです。

同じ種の花としてそれぞれが美しく咲くことをお互いに褒めあえる
暮らしを将来に実現するのです。


 

スカイブルー sky blue

カテゴリー │洋色字典



人に言われればパソコンとカメラほどの機材さえあればどこでも
できる仕事だから、家でもよいのではと言われます。けれども

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦しています。

9年半ほど借りていた浜松市中区佐藤の事務所を廃し、いよいよ今
年半年をかけて取り組んでいる仕事のため、南浜名湖舞阪の弁天島
に事務所を移した。

浜松の中心街に近かった事務所はそれは便利であったのだけれど、
もとより浜名湖や海が好きで仕事としても取り組んでいた場所、そ
こでこれからを生きるのです。

さて南浜名湖には二つの連携する色があります。
空の色と海の色です。まずはじめに青く澄んだ空があります。
春の色、夏の色、秋の澄んだ青とさまざまです。
本当のところは毎日その色は違うのです。

空の色はそのまま海の色となります。海の色はぐるりと廻る太陽
の光で刻々と変っていきます。

その二つの色を見るところを事務所としたのです。

南浜名湖はとても静かなところですが、早暁からエンジンの音が響
きます。それは漁師さんの船の行く音です。
働き者の漁師さんたちが行く海と空の色を眺めています。

二つの色がつくる景色を眺めてはこの話も書いているのです。


 

モスグリーン moss green

カテゴリー │洋色字典



日本人は決して単一民族ではなく、南方系であったり北方系であ
ったり、ネイティブに暮らしていた人とも混ざり、大陸から渡来
した人とも混ざって生まれたものである。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦しています。

海と山のどちらが好き?と聞かれたら「海」であるのだが、夏と冬
ならば「冬」が好き、旅に行くならば海がある北方に憧れる。
それはロシアのような土地ではなく、カナダ北部やアラスカである。

それも住み続けたネイティブではなく、後から夢を追ってきた人で
あり、その理由は大きな木があり、深い入り江を持つようなところ
で暮らしたいという思いである。
そこには清冽があり、豊潤がある。

何度か書くのだが尊敬する開高健兄が訪ねたカナダを何度もなんども
読み返している。
背は峻険な山、目の前は氷河に削られた海、そのわずかな海岸にへ
ばりつくように建てた小屋に住む夫婦を訪ねた時の話である。

食べるものは全てその海岸で調達する。バケツで海水をかければゴツ
ゴツの石だらけの海岸の砂からハマグリがバケツいっぱいも獲れる。
カニがいて、魚は釣り放題でありながら食べる分のみをその時に釣る
のである。

文化人でありながら、そんなウィルダネスな地を選ぶという選択肢
が欲しくなる。
その訪問記を何度もなんども呼んでも古びていかず、また夢中で読ん
でいる。

カリブーが棲む、森林限界を過ぎているから木もないところに旅を
する。カリブーはモスをエサにしている。
それをカリブーモスと呼び、そこにはベリーが無限になっている。
そんな世界に惹かれてしまう。北方カナダに憧れてしまう。


 

ローシェンナ raw sienna

カテゴリー │洋色字典



テレビがつまらなくなってからしばらくNHKしか視ないという日
が続く中、地デジ化と共にわが家にBSという世界が追加されました。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦しています。

テレビ・ラジオは何かを得ようと視るもので、ニュースは当然なが
らその他の時間はさまざまな世界を知りたいとチャンネルを選びま
す。世界とはそのまま全世界でもあり、人がつくりあげたその世界
でもあります。

BSに視るべきものが多いのはその予算の少なさからか世界を巡り
ながらもナレーターが説明してゆくのみという爽やかさがあるから
です。
番組中にクイズも出さず、大げさに驚かず、スタジオに切り替わり、
おなじみの面々が番組を盛り上げることもなく粛々と進んでゆく。
そこには本を開く読者のように視聴者側が楽しむ幅が広いのです。

世界は紹介され続けているとはいえ、どの国にも同じ色の壁や屋根
を持つ家並みを視ることができ、細い路地をたどることができます。
そこに私たちが訪ねた時の感動を想像することができるのです。

ローシェンナはイタリアのトスカーナ地方の土の色なのだそうです。
この色だけでその地を想像することができる。
それをありのままの色で表すことができるのがテレビ番組です。

その中の見所は必要ながらも、じつはその色でできた町を感ずる方
が想像の伸び幅があるのです。

テレビは「番組」という収益つきのプログラムになりすぎて、情報
に偏りが生まれています。
むしろその魅力は伝えすぎずに想像を残す、本のようでありたいと
思うのです。
ローシェンナの色に会いにゆく旅ができたとしたら、私たちはその
色世界と町を楽しむことでしょう。
それで充分に私たちは番組を見続けることができるのです。


 

オーキッドミスト orchid mist

カテゴリー │洋色字典



秋深くなり、まもなく冬となる頃、寒い朝に思い出す曲がある。
「A Hazy Shade Of Winter (S&G)」である。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦しています。

色名から連想して「ポン」と頭に浮かぶことを書くこの文はさまざ
まに連想が浮かぶ、今朝はmistに反応した。

mistを調べhazeを知る。英和辞書は言う。
「haze=もや, かすみ mistやfogより薄く湿気が少ない」

ここでサイモン&ガーファンクルの佳曲の冬の朝の情景を知るので
ある。同じように「もや・かすみ」でありながらmistより薄いのが
haze。

ギターのイントロが冬の歩を進めてくれるこの曲は冬の空気の中に
含まれるあの薄いうすい水蒸気を表していると知る。

じつに夏より「冬好き」はあの冷えた晴れた朝を好んでいる。
体中が寒さに対抗してシャキッとした「自分」を感ずる朝が好きで
ある。目的に向かって歩いてゆくその朝が好きである。

目的をたくさん持つように準備した昨日が過ぎ、さて朝が来たとい
う充実した冬の朝の楽しさである。

A Hazy Shade Of Winter は「冬の日の散歩道」という邦題であるが、
寒く冷えるアメリカの朝にポール・サイモンは躍動的なイントロを
つけて立ち向かっている。

「さあまた朝がやってきた、白い光が輝いている朝だよ」と歌って
いるように思える。

朝の太陽を浴びて空気が輝いているような朝、hazy輝く朝がやって
くるのはもうすぐだ。
忙しくさせなければだめだぞと自分に言い聞かせる晩秋である。


 

ローズタンドル rose tendre

カテゴリー │洋色字典



昨日の朝、アメリカのスペースシャトルの船長へ、娘の演奏する
ピアノ曲「Over the Raibow」が送られ流されたと聞いた。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦しています。

娘の演奏するピアノで船長は目覚め、青い地球を宇宙から見下ろ
している。ステキな朝のプレゼントは私たちの心にも虹をかける。

さてtendreとは英語のtenderである。Love me tenderに使われる「優
しい」という言葉である。
やさしい色のバラという意味となる。

愛とか優しさという言葉は誰にも通ずることでありながら広義す
ぎてとりとめもないのだが、宗教にも通ずる人と人との関係を表す
言葉である。

宇宙に流れるたその曲が見下ろした地球の広いひろい世界に通ずる
言葉である。
どんな人種もどんな国のどんな暮らしをしている人にも通ずる普遍
的な言葉である。

優しい気持ちとは相手をおもいやる心である。
自分のまわりの世界に相手を招きいれる気持ちである。
関係をつくるまず初めに思うべき心である。

相手を認め、自らの世界を開いて抱きしめるような心である。

普遍的なことはどの世界の境も超えることができる。私たちが経験
してきたさまざまな偏見や差別を無くすことができる。
その経験からきっと将来はお互いを認め合い、人と人として優しく
しあうことができるようになる。

私たちはそれを経験して知っているのです。

縁ありてさまざまな人と知り合い、その人を認め、関係してゆく
時、そこには優しさがあるべきことを知っているのです。

香るようなその色は、「優しさ」をまた私たちに教えてくれます。
その色を見ては私たちは優しさを取り戻し、その優しさを誰に与
えようかと考えるのです。

そして私たちはその行動をおこして人と結びついてゆくのです。



 

ベビーブルー baby bule

カテゴリー │洋色字典



偶然かはたまためぐり合わせか、BABYについて書くことが続く。
美しくかわいらしい完全体にして守るべきもの赤ちゃんの話題で
ある。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦しています。

ブルーは「憂鬱」につながる言葉、結婚前の憂鬱はマリッジブルー
などと使われる。
私たちはしばしば赤ちゃんについてブルーを感ずることとなる。

「虐待」である。

子供を虐待するにはそれなりの理由があれど、ニュースで知る事件
でがっかりしてしまう。子供ではなく赤ちゃんへの虐待を聞いた時
なのです。

誰でも幸せにしてしまう赤ちゃんだけはその力を幸せに結び付けら
れる人のもとにあるべきだ。

両親もしくは片親がその力がないのであれば、他に探さねばならな
い。誰であってもその新しい命をはぐくむ努力を惜しまないものの
もとで赤ちゃんは育つべきである。

全ての可能性に満ちたものは、しばしば、もしくは必ず私たちを越
て育つ。その可能性をしばらくの間預かるのが親である。
親の影響を強く受けることがあっても、その命は可能性に満ちてい
る。必ずや親を超えるものとなる。

その命をないがしろにすることは、親には許されない。
赤ちゃんの将来を決定するものは、育った後の赤ちゃんに残して
おくべきものである。

我々は親となることはできるが、赤ちゃんには親は選べない。
赤ちゃんの可能性を個人で選択できるまでは赤ちゃんは守られる
べきものである。

虐待問題を論ずる前に、まずは赤ちゃんは「誰でもよいから」守
ってくれる人のもとで育つべきものである。
まずは声をかけること、育てられないと言えること。それを聞く
周囲がいるべきこと。

まずは赤ちゃんを守ることから虐待をなくしていきたい。
どうしても育てられない環境にある親は実在する。
育てられないことは恥ではなく、赤ちゃんから考えた育て先に
委ねるべきことである。


 

オリーブグリーン olive green

カテゴリー │洋色字典



オリーブ、その言葉は私たち世代には「かよわき女性」を思わせ
る言葉です。そのか弱き女性は「オリーブ・オイル」という名前
でした。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦しています。

かつて全ての新しき文化が全てアメリカからやってきた頃、創刊
されたアメリカ文化の紹介雑誌「POPEYE」を私たち「アメリカ
大好き人間」は読んでいた。
創刊号の表紙はもちろんあの懐かしきヒーロー「POPEYE」でした。

POPEYEがユニセックスに読まれていた頃からしばらくして「ア
メリカ大好き人間」のうち女性たちが読む雑誌として兄妹誌が発刊
されたそれは「OLIVE」といいました。

そしてもう一冊、タフな男を目指すもう少し大人の「アメリカ大好
き人間」の男たちには「BRUTUS」が発刊されたのです。

もちろん私たちの世代ならばこの三冊があの三人、ポパイとオリー
ブ、ブルートに由来することがわかるのです。

こういう洒落で雑誌文化を広げていた頃は私たちに文化の吸収力が
あった時代でした。またアメリカはそれほどに私たちが学ぶ新しい
ものを持っていたのです。

さて、オリーブはポパイのガールフレンド、番組ではブルートがオ
リーブをさらうことで展開がはじまる。

か弱きオリーブは「たすけて~ポ~パ~イ」と助けを呼び、ポパイ
はスピナッチ(ほうれん草)を食べてブルートをやっつける。
お定まりの設定が長寿番組を生む、「ドラエモーン」と叫ぶのび太
君しかりであります。

か弱きオリーブさんは、オリーブ・オイルさんと言う。
このあたりも面白く、また雑誌POPEYEの小さな話題欄の名前が
「POP EYE(ポップアイ)」とされていたことも楽しき。

憧れの文化を吸収する頃、私たちの文化もしっかりと洒落を使った
面白きものでした。


 

ネールピンク nail pink

カテゴリー │洋色字典



美しい爪とはどんな色でしょう。それは美しい手指を持つ子供の
ような色の爪でしょう。何もかも新しい爪でしょう。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦しています。

赤ちゃんを見ていていつまでも飽きないのは、何もかもが新しく無
垢なるからです。私たちもそうあったはずですが、いつの間にか大
きくなり、汚れもし痛みもしているのです。

比べるものなき美しいものとはもとのままである美しさをいいます。
どうしてなのか美しいはずのものが、私たちは変ってしまったと思
いこみ、装飾をはじめます。

真っ赤なネールでしたり、さまざまなデコレーションであったりと
美しい爪はその上から美しくないもので飾られるのです。

テレビを見ていると(ほとんどNHKしか視ないのですが)、ときに
指先が写ることがあります。
その指にデコデコとした飾りが描かれていれば、もうそれ以上その
番組を見る価値がなくなります。
最も美しいものを隠してしまうような人の話は聞けないからです。

特別な職業でしたり、まだ美しさの本質を知らない若者でしたら
まだそれは許されるのですが、指のデコレーションを守るがために
人のために何もできないような指先を持つならば、もうそれは全て
に通じているのでしょう。

働く指であっても美しい指はたくさんあります。
長い間家族のために働いた母の指はもう節が大きくなってしまって
いますが、なんでも家族のためにしてくれる美しい指です。
さあ、お食べとご飯を盛ってくれるような指が一番美しいのです。

指先だけでその人がわかってしまうなんて恐ろしいことですね。
私たち男はせめて爪が伸びていないようにパチンパチンときれいに
短く切りそろえておきましょう。
それが働く指であり、誰かのためにがんばれる指だからです。
働きものでありたり、私たちの指の姿だからです。


 

ネールピンク nail pink

カテゴリー │洋色字典



美しい爪とはどんな色でしょう。それは美しい手指を持つ子供
のような色の爪でしょう。手入れされた爪でしょう。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦してい
ます。

赤ちゃんを見ていていつまでも飽きないのは、無垢だからです。
私たちは育つとともに経験を積み、無垢ではなくなります。
方法があり経験値があり上手があり、さらに成長する。
その成長とは無垢から離れることでもあるのです。

ゆえに私たちは無垢なるものに憧れます。
それは何も知らず何も恐れず何も経験もしない美しさです。
それはまず赤ちゃん以外におりませんが、その青いほどの目を
見ているうちに、じつは私たち自身が見つめられていることに
気づきます。

赤ちゃんは私たちの可能性を全て含んで私たちを見つめている
のです。

赤ちゃんの笑顔はどんな人の心も溶かしてしまいます。
その手に私たちは育ってしまった私たちの指を握らせますが、
私たちは同時に私たちの心を掴んでもらっているのです。

私たちはもう育ってしまいましたから無垢なる体を持つことは
できません。けれど無垢なる心を持てるのではないかと想像し
ます。

誰もに愛され、誰からも愛情の微笑みで迎えられ、いつも健や
かであれと願われ、そしていつまでも一緒にいたいと言われる
ような人に一番近いのが目の前の赤ちゃんだからです。

透き通るような小さな爪を持つ、その小さな手指が私たちと
握指をしてつながります。
私たちは思わず微笑んで、その無垢なる力を受けたいと思うの
です。


 

サンドベージュ sand beige

カテゴリー │洋色字典



かつて地球は次第に乾燥し、緑のない砂漠が広がっていると聞いた
ことがあります。あれから何年か何十年か、今も砂漠は広がってい
るのでしょうか。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦しています。

私たちは海の砂の色の違いを知っています。ここ浜松の遠州灘の海
砂は黒すぎない砂の色、その海は美しい青ですがちょっと旅をして
伊豆の先まで行けば白浜と呼ばれるとおり、砂の色が明るく、海の
色はその白を透かしてさらに美しいエメラルドに輝きます。

同じように砂漠もさまざまな色があります。
同じ砂であるのに、黄砂と例えられるように中国の砂漠の砂色は黄
色、エジプトの砂はさらに黄色が濃くあります。
黒が強く思える南アメリカの砂漠の砂色もあります。

サンドベージュは砂の色、果たしてどの国の砂、砂漠の色を呼ぶの
でしょう。
砂漠はとても不思議なところです。
かつて砂漠を紹介する本で、テレビの番組でも乾燥しきった砂漠に
緑のオアシスがあることを知るのです。

砂漠はかつて緑が広がり、肥沃な土地であったといいます。
その証拠に水があるオアシスではどんな植物も育ちます、作物もと
れるのですが、一歩オアシスを出れば不毛で乾燥した砂漠が広がる
という。

灌漑すれば砂漠はいちやく穀倉地帯にもなるというのです。

サンドベージュの丘に水を引いて緑広がるところにしてもみたい。
砂漠が広がるのなら、その分を灌漑して広い穀倉地帯にしてゆく。
色はサンドからグリーンに変るという夢なのです。


 

リラ lilla

カテゴリー │洋色字典



洋色をはじめる前に、和色を456色楽しんでおりましたが、今に
残る色名とは誰にも共通する自然の色から生まれたものが多いも
のであります。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦しています。

さて「リラ」、これは花の「ライラック」のこと、フランスの花で
ありますが、かの地ではこれを「リラ」と呼んでいます。

花は自然のもので、その色を表すのに花の名で呼ぶ、普遍的なもの
から色名は生まれ今に継がれているのです。

花の色を呼んで話題も心も共有する楽しさがあります。
また花の色は表現する楽しさでもあります。それは誰でも共有でき
る経験の美しさでもあります。

誰もが知る花色は、ひまわり色がありましょう。もちろんサクラの
色もありましょう。スミレ色やレンゲ色もありましょう。
さまざまな色を持つ花であれど「バラ色」の人生もありましょう。

花の色は歌のように誰もが経験する美へ讃えと興味であります。

先日「よい匂いの街」という児童文学を読みました。
白い花のことを書いているのですが、その花と実はとてもよい匂い
がするそうです。
花に気づき、見上げ、落ちた花を拾ってはその匂いに興味を持つこ
と、それは誰もに通ずる美しいことなのです。