開高兄のカニ

カテゴリー │デキゴト路地



いただいたアサリは殻も大きいが色気タップリの身が詰まり、酒蒸しでいく
らでもいける。

目を閉じれば海のジュースは潮そのものであり、こんな時期まで潮干狩りに
も会わずにまんまと太っていたアサリの年増である。
かつて開高兄がアラスカから南へ下りながら書いた「オーパ」に書いたよう
に、大きな貝にはひとつづつ太った蟹が入っている。
兄の本でうまいものと表現されたものは読者弟は鵜呑みにしてご馳走である。

貝をプルンと引き出して味わいながら、とっておいたご馳走蟹をチチッと
かじり、安物のウィスキーを口に含み転がしながら喉に注いでゆくのだ。
好きなものが思いのほか太っていた喜び、皿に盛りあげてあり、一人で食
らえと言う。

蟹を見つけてはフォークでせせり出して並べながら肴にし、オーパの旅を思
い出し、一人で爆発している。

男は海が好きで泡だの潮だのが好きで、小さい豆蟹をせせっては喜ぶような
動物である。

開高兄の言う通り「汝、偶然の子なり」と繰り返し言いながら飲んでいる。

血液は海の水でありその流れの中に蟹は遊ぶように思えるのである。

偶然の子は今宵、開高兄と同じ肴を食うのである。

貝をひっくりかえしては蟹と戯むるのである。



 

今年初めてアンマンマン

カテゴリー │メシメシ探検隊



「オッはじめましたな」とコンビニでアンマンを見つけました。アンマンマン
の季節です。

僕らの世代は中学生になると変速機付きの自転車を買ってもらい、冬の寒い
中でも遠くまで出掛けたものでした。

その頃からあるのがホカホカに蒸した肉マンとアンマンです。

寒い中自転車で出掛け、食べたアンマンはおいしいものでした。
ファーストフードの草分けでしたね。

伊豆方面の営業マン時代、食事をしたら眠たくなると、アンマンでパワー補
給して帰ってきたこともありました。

アンマン好きはアンマンマン。もちろんツブですよ。
今年もツブアンマンマンは活躍いたします。



 

楕円球に触れる

カテゴリー │ヤマハラグビー部



ラグビージャーナリスト村上晃一さんのブログを久しぶりに読む。

シーズン中は毎日読みながらも、オフとなるととんと読まず失礼な読者なのだが、
いよいよ今週末から今年のジャパンラグビートップリーグが開幕となる。

今日の話題が面白くて自らの体験から書いてみようと思います。

「日本でラグビーを普及するための一番の方法は?」に対し日本代表のジョン・
カーワンヘッドコーチは「日本中の公園にラグビーボールを転がしておきますよ」
と答えたという。

なるほど、ラグビーボールをまずは触れる経験が大切なのは自らの経験にも
あるのです。

あの楕円球は丸いボールと違い、投げても蹴っても思うようにいかない「楽しい
遊び道具」になる。あれが転がっていればラグビー選手の真似もしたくなると
いうものである。

トップリーグが出来た年からご縁あって5年間ヤマハラグビー部の練習場大久
保グラウンドに毎週おじゃましていた。
ヤマハはファンを大切にするチームで、ピッチにこそ入れないが同じ芝の上で
練習見学ができ、練習で使われるボールが転がっていることもある。

それをチームスタッフの皆さんに声をかけて持ってみたり、上に投げてみたり、
少し蹴ってみたりする。
選手のようにスクリューパスができないかと、2人で「キャッチボール」してみ
たりもしてみる。楽しくていつまでもやっている。

手本は眼で練習する選手たちである。

チームの練習ボールはかつての試合で使ったボールを使っているからトップ
リーグの公式球が入っていたり、チーム専用ボールもある。

応援する選手たちがトップリーグで戦ったボールを手にする喜びはチームと
ファンを近づける。
そんな貴重なボールを見よう見真似で触れたのも、ラグビー好きになった理
由でもあるのです。

村上さんが書くように、練習で使われたボールはすべり止めのブツブツが磨
り減り、選手たちはボール入れから新しめのボールを選んで練習をしていた。

たまにコロコロと我々が見学するところにボールが転がってくる。
そんな時に練習したスクリューパスを繰り出す機会があるのだが、思うよう
にはならず。それゆえにラグビーの楽しさを知るのである。

さて終末は開幕。真新しいボールを使っての陣取りが始まる。

トップリーグの試合で使われたボールを高校生以下のチームの練習用に進
呈するという取り組みに賛同する。

ヤマハの練習場でかつての試合球を持った時のトキメキは特別なものでした。

同じボールを使って未来のプレーヤーが育成されることをファンは期待してい
ます。


 

秋刀魚は山で

カテゴリー │メシメシ探検隊



山のお母さんの店へ行くと、氷に使った魚がある。手を突っ込むと秋刀魚です。

「クチバシは黄色いかい?」、他のお客さんに言われて見れば確かに黄色、
「新鮮な証拠だよ」と教えてもらいました。

普段なら川の魚を焼く囲炉裏テーブルに秋刀魚が焼かれ始めると、俺も俺も
と声がかかり、秋刀魚がズラリと並びます。

魚は粗塩をふり、こうして串に刺して焼くと余分な脂が流れて、炭で芯から
焼けてうまくなります。
ブツブツフツフツと秋刀魚は湯気を出して焼けるのです。

「お母さん、大根オロシ」、山のような大根オロシをのせていただく秋刀魚の
うまさ。山には少し早く秋がやってきます。

太って脂いっぱいの秋刀魚、秋刀魚は山に限ります。
炭焼きの秋刀魚に限ります。

ごちそうさまでした。


 

鳩が飛ぶ

カテゴリー │デキゴト路地



人生で歴史の転換点に立ち会うことは意義があることである。

選挙で民主党の歴史的勝利を経験することは、投票で参加した私たちが選択
した結果である。
「変化」を選んだ私たちは、新しいリーダーと共に進んでゆくこととなる。

さて民主党の代表鳩山由紀夫さんは世襲議員の一人なのだが、祖父である
鳩山一郎さんは元総理大臣である。

じつは(という程のこともないのだが)、私のイチローはこの鳩山一郎さんから
名づけられたと聞いている。
父は私に「偉い人になれよ」と一郎と名づけ、弟には別の総理大臣の名前か
ら名の一部をもらい、妹には恐れ多いことに皇室から名をもらっている。

一郎さんはイチロー選手のこともあり、随分較べられたり、ブログの記事の内
容いかんでは、イチロー選手の話題と思われてこのブログに迷いこまれるこ
とも多く恐れ多いことだと思っているのだが。

名前は鳩山さんのおじいさんから貰っているのです。

鷹だの鷲だのというのでは困るが、鳩が飛ぶ日本には期待している。
海外メディアには新しいリーダーが「鳩」の名を持つことを報道していただきたい。

日本は平和の鳩が山となっているのだと意訳していただきたい。

今回の選挙は地元でも悲喜こもごも。

それでも必要なものあり、塩が残り、ちょっとホッとしたりしている。


 

国民となる日

カテゴリー │デキゴト路地



昨夜から約束していたように母を車に乗せて選挙の投票に行ってきました。

「やっぱり気持ちがいいね」
母は今日は一つ善いことが出来たと満足げなのです。
僕は選挙権を得てから一度も棄権したことがないのが自慢です。

政治を論ずることはありませんが、朝一番に投票に行く清々しさを知って
いるからです。

投票の朝会う人と会釈を交わし、無事投票して立会人に会釈して帰ってくる
だけのことですが、「義
務を果たした」満足感があるのです。

今日明日は開票報道が続くのでしょうか、明日の朝刊が遅れると言うこと
です。



 

空を見なよ

カテゴリー │車にあ



空と仲良くできる季節がやってくる。

オープンカーは夏のバイクと同じく照りつける太陽に晒されてしまうから
夏は夕方から夜専用のものとなる。 春から売出し、グッとそそられるの
だが、実際は春から初夏、晩秋から冬のはじまりまでのものとなる。

また、街の小粋なヤツ、フィアット500(チンクエチェント)がやってくれた。
大きなサイズの車が何をやったとて興味がわかないながら、小柄な子
が金メダルをとったりすれば、おお!とその快挙を祝福する。
MINIの牙城であった小柄の中に、イタリアの小娘がまた大きな穴を開
けてくれました。

フィアット500が加わえたのはABCピラー(フロントガラスの横の柱がA
ピラー、前ドア後ろの柱がBピラー、リアアガラスを支える柱がCピラー)
を全て残してキャンパストップを開けられる方式のオープンカーです。

ある友人と待ち合わせすると、国産のキャンパストップを持った小型に
乗って現れた。サンルーフよりはるかに大きく開くだろうそのルーフを
うらやんだ。
家族を大切にし、終末を家族とのドライブで過ごす彼らしい選択に、セ
ンスを感じた。キャンパストップはその素材と同じくカジュアルであり、
威圧しない。 空を見ることも強要しないのだ。

さてチンクはまた空を手に入れた。
これだけ大きく開くキャンバストップならば、くだんのルパン一味も乗り
込みやすいというものだ。

階下に車をつけてクラクションを鳴らし、窓から見下ろす彼女にアピー
ルするならばこの方法こそが美しい。
紳士諸君ならば、センスがよい彼女の笑顔と一緒に後席に乗せた
ピクニックバスケットを見つけるのもよろしい。

小型車の工夫は私たちの身の丈でシチュエーションを考えることが
できる。
車は威圧するものでなく、笑顔で乗るべきものなのである。


 

あとどれくらい、うんざりすれば

カテゴリー │デキゴト路地



過剰なる報道に食傷する毎日、朝から「容疑者」の話は辟易している。

朝の報道は「力」や「元気」をもらうものでなくてはならない。
一番に「容疑者」の話は勘弁してもらいたい。

人を美しく評価したならばどれだけも美しく伝えることができるのに、悪
とするならば人はその話を美酒のように求めてしまう。
際限なく知ることは、その犯罪を食い止める方法などではない。

などとテレビの報道を見ないようにしていても、小市民はWebニュース
は読んでしまう。

もうやめてと思いながらタイトルを見れば「浜松」の文字、容疑者は浜松
によく来ていたと言うのです。

・・・・酒井被告の覚せい剤入手に「浜松ルート」浮上・・・・

小市民は驚き、自らの町に及んだことを悔やんでいる。
人の犯罪の報道を楽しんで見ているうちに、わが町の恥が晒される。

この場合「他人の不幸」とは言えないけれど、他人の不幸は蜜の味な
どと思って舐めていると自ら(の街に)ふりかかってくる。

明日からは浜松の報道でしょうか。ありがたくないですね。

「あとどれくらい、うんざりすれば、あなたのことを忘れられるかしら」

そろそろ大きな耳を隠しましょう。 もう結構ですと言いましょう。


 

アンアンアン

カテゴリー │デキゴト路地



「誰が欲しい人がいるかしら」
母がもらったというアンパンマンの計算機を渡してくれました。

母の専用機は父が商売していた時の大型のものがあるのです。

アンパンマン君は8桁の立派な実用機、思い出したのは小さな「友達」です。

システム機器営業マン時代一度だけ8桁を越える見積もりをしたことがあり
ました。カンマがあるのに何度も見直したものでした。

まだお小遣ももらわない子にあげましょう。お父さんは確か優秀な営業マン
だったはずですからね。

見積もりをパソコンで行わなかった頃、慣れた計算機を素早く叩いて計算す
るのを得意としたものでした。

数のお稽古に使ってもらい、計算高い男にはならないように渡しましょう。



 

海苔に鯛みそ金山寺

カテゴリー │メシメシ探検隊



朝からパリバリと海苔を折る。板海苔は折りながら切り分ける楽しみがあり
ます。

味噌汁の実はホコホコうれしい里芋にシャキシャキ葱が入ります。

肴町の林麹店の金山寺と桃屋の鯛みそが揃えば朝の食欲増進オールスターズ
です。

「朝ご飯がおいしければ健康だよ」

真っ白いご飯に順ぐりに乗っけてパクつくうれしさ。
大満足の朝ご飯、ごちそうさまでした。



 

街のスニーカーMINIクーペ

カテゴリー │車にあ



フランクフルトショーでMINIの新しいコンセプトカーがデビューした。
「MINIクーペ」、復権するクーペの新しい狼煙の一つに拍手したい。

メーカーが独自の車を作っていた頃と違い、グローバル化した工業
製品化する車は・・・と難しく書くこともなく車は世界の経済の基幹
として多くの人の暮らしを支える、支えるものは危なげのない流行
の中にいなければならない。
今の時代に「ハズレ」をひくことはできないのです。

クーペの需要は確かにあります。全てのスタイルの中で最も美しく
デザインをリードする憧れのポジションが未だあります。
たとえ需要は小さくとも、クーペの開発費に見合うだけのニーズが
あり、たとえ満たされなくともイメージを高めるものとしてのポジショ
ンがあるのです。

低く構え風を切って進むそのカタチを競うクーペの魅力はこの時代
をもまだリードする力がある。

セダンがあり、ハッチバックがあり、ステーションワゴンがあり、ミニ
バンがあり、オープンがある。 その中にしっかりとクーペがいてこ
そクルマ文化は広がって行き、クルマ産業が成り立つのです。

MINIは現在BMWブランドです。 最も小さなクーペを生み出す力
を持つメーカーは強い。
その一つのモデルは求心力となってメーカーイメージを上げてゆく
のです。

こんな小さなクーペが走る街は美しくなるのです。


 

ふたつ咲く朝

カテゴリー │デキゴト路地



昨晩はBSで夏目雅子さんらの瀬戸内少年野球団を観ていた。

戦争直後の昭和は私たちの少年時代と変わらず、生き生きとした子供の時代
を見せてくれました。

学級の席替で男女を初めて並ばせる先生、名前を呼ばれる度に囃す級友たち、
夏祭りの浴衣姿に初めて大人っぽさを見せる女の子、革靴や大人の遊び場へ
の憧れなど懐かしく思いました。

子供にとって夏休みの終わりは残念な永遠の時間の終わりです。それでも二
学期の始業式の朝は友達に久しぶりに会う楽しみでワクワクしたものでした。

映画は転校もテーマのひとつでした。
永遠であったはずのの友達との日々も転校という別れの日を迎えることが
あります。

高校で一緒になろうな、大学で一緒になろうな、会社ででもいい。
幼い恋の告白に応じられないのはいつも男の子の方でした。

間もなく夏休みが終わり、子供たちはまた少し成長を見せるのです。



 

林麹店の金山寺

カテゴリー │メシメシ探検隊



今日は母のリクエストのデート、まずは梅干しを買いましょうと浜松の肴町
に出掛けます。

南高梅が好きな母は高額の梅はもったいないと潰れ梅を買います。
串ともの向かいにあるメルカトールまぶちがお気に入りの店です。

ここは元々蔵元の店ですからお酒やワインも揃い、気の利いたお菓子なども
ありますから母は楽しめるのです。

お店を出て角を曲がれば老舗の林麹店、ここでは自慢の金山寺を買いました。

ここで見つけたのが小さな箱に入った「麹菌」でした。誰がどう使うのでしょ
うね。

母の金山寺の思い出を聞くと、祖母の手作りした金山寺の茄子を拾って食べ
てしまったそうです。
親子で金山寺の刻み茄子が好きなんですね。

町っ子で育った父は林さんの話をしながら金山寺を沢山食べようです。

誰にも懐かしい味、次回はおいしい紫蘇巻きを買いに行こうよと母とのデー
トの約束が出来たのでした。

ごちそうさまでした。



 

庶民のたのしみ

カテゴリー │デキゴト路地



昼間出先でちょいと時間がある時には無料のフリーペーパーなどもらいま
して時間をつぶします。

その中でも住宅情報誌タウンズが好きで読んでおります。

身の程を知れは安いアパートでも見ればよいのですが、一人で新築のマンシ
ョンを見ては夢を見ております。

最近のマンションはリビングルームが広々しておりまして、対面キッチンな
どがありまして住みよいだろうななどと想像しております。

夢ですから勝手でございまして両親の部屋は南の和室だよ、友達が来たらベ
ランダで楽しんでなんて考えるのが楽しい。

年寄りが買い物に行くのに店は近いかなどとも考えたりいたします。

条件をつけて見比べるとなかなかよい物件がないななんて、買えやしません
が難しい顔をして妥協すべきかと悩んだりしているという。

気楽なものでありまして、子育てが終われば家もいらないかなんて考えたり
もする。

元手をかけずに時間つぶしをしてるぐらいでは生涯住めやしません。

それでもここだななんて決めてから金額を見て我に返ったりしております。

どうしたらこんな家が買えるぼど稼げるかと考えれば、この冊子はリクルー
トが発行しておりまして働きなさいと教えてくれます。

さて庶民の皆様明日もがんばって働きましょう。



 

浜松の屋上

カテゴリー │デキゴト路地



かつての浜松の子供が「屋上」と言えば松菱百貨店の屋上に決まっていて、
同時に甘いアイスクリームの味を思い出します。

子供にとって松菱での買い物よりも早く屋上に行ってアイスクリームを食べ
させてもらうのが「屋上」の楽しみなのでした。

子供の頃の写真には飛行機のような遊具に乗る写真が残ります。
虫を売っていたり、モノマネ鳥がいたようにも思います。楽しいことは全て
屋上に結びついているのです。

あの懐かしいアイスクリームの味は以後のアイスクリームとは別の味である
ように思います。

久しぶりに松菱の屋上を眺めたかつての子供は、冷たいバナナのような味を
、美味かったなあと思い出すのでした。



 

かくやの香

カテゴリー │メシメシ探検隊



今からもう30年も前のことと言えば流れが早い今日では大昔の話となります
が、よかったらお付き合い下さい。

私は浅草の向こう岸、向島と言う下町に修業にまいりまして店の傍に住みま
したが飯はおかみさんに食べさせていただいておりました。

魚嫌いの家に育ちましたが下町では魚が毎日出てまいりまして食べるうちに
今は魚っ食いになりましたのもおかみさんのおかげでございます。

朝飯に出てまいりますのが、かくやの香の物でありましておかみさん自慢の
ぬか床からキュウリや茄子の古漬けを出し、トントントンと刻んでくれまし
て、醤油をかけていただきます。

夏場など食欲のない朝や、若さの常で飲み過ぎた朝などは滅法うまい。

一味などきかせますと目が覚め二日酔いなど吹きとんでしまいます。

30年経ってもおかみさんのかくやの味と魚の焼き方だけは忘れてはおりません。
長男などは甘えん坊でありましておかみさんは東京の母さんでありました。

今朝はうまい浅漬けをいただきましたが、懐かしくおかみさんを思い出しま
した。

ごちそうさまでした。



 

朝はホッとメシ

カテゴリー │メシメシ探検隊



朝はガラガラと(シャッターを)開けて新聞を取りにいくことから始まる。

パリッと新しい新聞をテーブルに広げ、味噌汁の匂いを嗅ぎながら紙に目を
通して頭を起こすのです。
朝の涼しい空気、新聞で母と応援するプロ野球の楽天の勝利を喜び、ご飯に
玉子をのせてもらう幸せの朝なのです。

元気で健康な気持ちはテレビの残念なニュースを見て少し落ちそうになり
ます。

もう知りたくもない芸能人の薬物問題は朝から見せられたくありません。

その家族の子供の気持ちを思えないならば大人が見るものではありません。

朝は元気で美しいことをご飯と一緒にいただきたいものですね。

今日もうれしいことを見つけに出掛けましょう。



 

無花果渋滞

カテゴリー │花ばなしい



夏の終わり、朝の空気がスッと涼しくなりまして車の窓を開けて走ろうと
思うこの頃、黄金に色づきはじめた稲穂に気づくのも朝の涼しい風に気づい
たからであります。

色づいて重く垂れた稲穂などと言いますが、やがて早稲の稲刈りが始まり
ます。稲が米になりまして、私たちが楽しみにする新米ができあがります。
その頃にはもう一段スッスッと涼しくなりまして、腹が減り出す。
夏バテの分を取り戻そうと食欲の秋になってまいります。
ありがたいですな。

先日踏み切りの前の渋滞に合いまして車をとめていると、線路に続く道の
際に親子が何かを採っている。
それは無花果でありまして、大きな実をもぐのが見えます。

電車が来るまで他に見るものがありますから並ぶ車はみな、この様子を
見ております。
スーパーの袋に重そうに入っている無花果を見ればうらやましいもので、
同じように思っているのでしょう、前もその前の車も眺めております。

道に車を停めておくようなところもなく、歩いてきた親子が無花果を採るの
を眺めるだけになっていた。
はたしてあの無花果は道の際に生えておりまして誰のものでもなさそうだ
なとも思う。

生る実を摘んでみたいのは誰も一緒、口の中があの無花果の甘さが広
がるという時間でありました。

人が採っているのを見れば食べてみたくなる無花果、さてどこかでいただ
けないものか。

そうそう、無花果と言えば毎年ながら思い出すのが、浜松は古人見の
薪石窯(まきいしがま)でパンを焼くシェーブルでのことです。

パンの名前に「フィグ」とついているものがある。聞いてみると無花果の
ことをフィグというそうで一つ利口になりました。
自慢そうに、毎年そんなことを書いております。


 

パンにマーマレード

カテゴリー │デキゴト路地



ああ足が痛いと母が足をさする。
母は父に買ってもらった足乗せ式のマッサージ機を伯母に貸している。
伯母も足が痛いと聞き、わざわざ持って行き、返すと言われてもよく効くか
らと置いてきたままにしている。

「パン買ってきたよ」と言われても棚の上を見ると僕がおいしいと言ったパン
が乗っていた。それも大好きなマーマレードが添えてあった。

母はいつも自分のことより他の人の世話を先にしている。なにげなく話した
ことを覚えてくれていてくれる。
だからうれしくて「ありがとう」を何度も言う。もったいなくてありがた
くて愛しくなる。

今年の正月に父方の叔母が亡くなった。何度も何度も年始に行けば会えたの
にと泣いた。
叔母の墓に大好きだった紅梅を持って行きたいと言い、僕らは豊岡梅園に行
き、ご主人の手ずから切っていただいた紅梅をいただき告別式に向かった。

車の中でありがたい紅梅だと一輪も落とさないようにと母は抱えていた。

叔母のお墓に紅梅を備えて母は何度も会えなかったことを詫びていた。

母が「デートしたいな」とリクエストをくれた。宝くじ屋さんへのドライブの
お願いです。

母は「当たったら子供たちにみんなあげるんだ」と笑い、寝る眠る時にいつ
もその夢をみながら眠るのだと言うのです。

「かわいいおばあちゃんになりたいから」と毎日カレンダーにつけた孫の
誕生日を楽しみにして少ない年金からプレゼントをしているのです。

明日は時間を作ってエスコートをしなくてはと息子はうれしい時間を楽しみ
にしています。

僕より母さんに幸せが先に来ますようにと祈るのです。

願うよりがんばって働け自分と思うのです。
自慢の母はそんな人なのです。



 

念珠と数珠玉

カテゴリー │花ばなしい



いい歳をして今まで持たずに済んでいたものがありました。

念珠でありまして、不祝儀の時に持ってゆく数珠でございまして、今までは
父のを借りていた。親族に不祝儀がなかったのも幸せなことと思っておりま
した。

昨年から不祝儀が続き、お前も一つ持てと父が一つ分けてくれて持ってい
っている。親指と小指で下げる念珠を持ってようやく一人前になりました。

数珠といえば抹香臭さい名前で子供の頃は縁がありませんが、夏の終わり
に野原に行きますと数珠玉の草が伸びております。
黒い実や白い実、まだらの実がありまして、大きくなった数珠の実を摘んで
帰りまして母に渡すと、もめん糸と針で数珠玉を刺してはつなぎ、数珠を作
る遊びをしておりました。

この数珠の実は独特の匂いがありまして、たくさん集めると青さとも違う匂
いがいたします。
子供心にこれが数珠かなあと思った記憶がございます。

一年中、何かの実を摘んでいた子供の頃、それぞれに遊び方があり、持ち
変えれば父や母が懐かしそうに遊び方を教えてくれたものでした。

まもなくドングリが落ちる頃となります。
たくさん拾ってきて弟や妹とドングリ独楽を作ります。
買ってきたばかりの爪楊枝を使い切ってしまい、串までも使って大量の独
楽を作って叱られてしまったことを思い出します。

時に何もない冬にカマキリの卵を持ち帰り、勉強机にしまっておいて、春に
おびただしい子カマキリが家中を這い回っていたことがありました。

四季野原で遊んでいた頃には、子供はどこで何が採れるかを知っていた
ものでした。