記念誌出来上がり

カテゴリー │デキゴト路地



わが町の凧揚げ会の20周年記念誌が出来上がりました。

印刷されたばかりの記念誌に大満足です。

デザインと編集をお願いしたのは「フォークソングな日々」のKAZさん
こと吉田さんです。

本格的な編集が始まったのは2月、毎晩遅くまでの作業をいただき、
わが町の記念誌制作に親身になって作業いただきました。

配達いただき記念誌を見て抱き合うほどの感動を共にできました。

週末は記念式典、いよいよ町内に配布ができます。

KAZさんありがとうございました。



 

スジの通った

カテゴリー │メシメシ探検隊



どうしてこんなに好きなんでしょう。最近は年中食べることができますが、蕗
が大好きです。

黄金色の蕗をご飯にのせれば、ほんのり春の香り、山菜の独特なにがさの
うまみをいただくのです。

蕗はよく見かけますが摘んだことがありません。
ましてやスジをとったり、煮たこともありません。

でも一番身近な山菜(野菜かな)として親しんでいます。

お兄ちゃんが好きだからと母はお鉢いっぱいに蕗を盛ってくれます。
蕗をいただけば、ありがたいと思うのです。

花や草を撮って2年目になりますが、最近やっぱり野が好きだなと感じてい
ます。もう少し覚えて野の草、野の食べられる葉も覚えてみたいと思います。

一年の光を野の草や花から知ることを続けてみたいと思います。


 

糸目にフーッ

カテゴリー │凧ばなし



凧が近づき、浜松ではそろそろ仕事の段取りや納期の呼び方が変わる。

「凧前」、「凧の後」などと仕事を納める日を決めあうのです。もちろん凧には全員
仕事をしないからですよ。

「凧前にできるけ?」、「凧前にやっちゃうよ」なんて会話が交わされるようになり
ます。

さて、日曜の凧の糸目付けのワンシーンから凧の話をいたしましょう。

浜松の凧は6帖で約3m角ほどの大きさになりますが、上の角から一本づつ、
下中央から一本の合計三本の糸を親糸と呼びます。
凧は風を受け、この三本で受けますが、あまりに大きな凧ですから、それだけで
は糸が切れたり、凧が張ることができません。

そこで6帖で30本ほどの子糸という細い糸をつけています。

これら30数本の糸をまとめ、バランスよく揚げられるところに糸目を決めるのが
重要な仕事です。

全ての糸目をつけ、決めたら、その先端を編みこんでおきます。
その網む糸を締める為に、わが町では酒を吹きかけて編んでいます。

若い衆が酒を含み、「フーッ」と霧状に吹きかけています。
これで清めて締める作業へと続きます。

昼間から酒瓶を持っていても、凧があればこんな作業をしているんですよ。

4月には大きな凧に糸目つけをする姿をよく見るようになります。
一度ご覧になってみてください。


 

20年への思い

カテゴリー │凧ばなし



一年の準備を経て、実際には仕上げの2ヶ月に集中した”遠州浜凧揚会20周年記念誌”
が出来上がってくる。
10ほど前に校了し、印刷をお願いした後は待つだけとなり、ひそかな楽しみの中にいる。

昨日は早朝から若い衆たちが手作りした20周年凧の糸目付けが行われました。
凧とは面白いもので、技術や努力だけでは揚げられず、多くの仲間が一本の揚げ糸の
ように心つなげて揚げるものです。

大きな凧を運ぶ人、風に向ける人、糸先と呼ぶ”揚げ手”たちは一番二番三番とつなげ
て凧を舞い上げること、連携する心、揚げようという心を繋ぐことに尽きるのです。

古い衆は20周年記念誌で短いながらも失われつつある記憶をまとめました。
若い衆は呼応して自ら凧を作って祝おうと将来への飛翔を計画しました。

一人の元組長が、「よくできたなあ」と20周年凧を見て満足気でいることは、20年つな
げた心をうれしく思っているのです。

糸目付けをした凧は、風通しの為に浜で揚げられたと聞きました。

若い衆の一人が「がんがんに揚がりましたよ」と満足気に話しかけてくれました。

彼らに託す心、今年もわれらの町の凧は一本になる心で揚げられそうです。

それにしても印刷して完成してくる記念誌を手にするまであと1日、ひそかな喜びの
中にいるのです。


 

ウドンでホッ

カテゴリー │メシメシ探検隊



暖かさにつられて、早く半そでをきどれば、グッと冷えてしまう。
そんな時には、暖かいウドンが一番です。

蕎麦とうどん、どちらかと言えば蕎麦を好みますが、サッといただくなら蕎麦、
体を温めるならウドンがいいですね。

ウドンという音の暖かさ、「ウドンですよ」と言われれば体のあたたまりを期待
するのです。

桜海老のかおり豊かに、揚げた香りまでが溶け込んだ汁をすえば、ポクポク
したウドンが体に力をくれるのです。

自分の苗字は高知県に多く、同姓同名の知事まで輩出しています。
いつかまだ見ぬ四国の旅に行き、ウドンを食べてから高知入りし、同姓同名
の先人の墓参りをしてみたい。

宿についても宿帳に地元みたいな名前を書くことができるのです。

竜馬は行きますが、イチローは戻る。いつか行きたい高知への旅なのです。


 

スイギョウザァな夜

カテゴリー │メシメシ探検隊



期末に〆切前に凧まで加わり、一日走り回れば腹が減る。

エネルギー不足で会議中にトロトロと溶けてしまった。

エネルギー充填には熱々カラカラ料理が一番です。
そんな時には台湾料理のジャン!という力が欲しいのです。

阿里山の混雑する店の中はまさに台湾の雑踏のよう。
注文すると元気な店員さんが厨房へ「ガアガア」と大声で注文を読み、
盛大な火の中華鍋がジャンジャンと料理を作ってゆく。

「彼望空腹満的中華飯、急作彼常連的客!」などと言っているのだ
ろうなあ。

口を焼くような熱さが体の中へ。

日曜タイヤードな男は熱いスープに溶けてゆくのです。


 

芽吹けば黄金

カテゴリー │茶ばなし



昨日、お手伝いする掛川東山茶業組合の理事長さんにお話を聞いた。

静岡茶というブランドがある中、茶処掛川は掛川茶という別にくくられるブランド
がありますが、その中でも東山は、色よし味よしの深蒸し茶の産地として知られ
ています。

理事長さんはお茶作りの中で、これから2週間後くらいが一番の喜びの時期だ
と教えてくれました。

「黄金というのかな、芽吹いた若い芽が茶畑を覆って輝くんですよ」

萌黄色という色は、この茶の芽吹く色を言うようです。

帰りに茶畑に寄ると、早い芽が芽吹いていました。
まさに金色の芽を見つけたのです。

一芯三葉と呼ばれるお茶摘みの芽の前に、茶畑が黄金色に輝く日がある。

東山茶業組合は、4月12日(日)に初めての取り組みとして”みやまの里まつり”
を開催するそうです。

「理事長、この時期ということは?」

「もちろん、黄金の茶の芽を見てもらいたいからですよ」

この日に茶の黄金の光に包まれに行きたいと思います。


 

20周年凧糸目付け

カテゴリー │デキゴト路地



日曜の朝は凧の準備、今年は20周年の心意気にと、青年たちが六帖の
手作り凧を作りました。

毎週土曜夜にコツコツと作りあげた凧に今朝は糸目をつけています。

爽やか青年たちの空への挑戦です。



 

風は旅人

カテゴリー │花ばなしい



春がやってきた早朝に車を走らせると、口から自然に出てきた歌は「風は旅人」
という歌でした。

「さみしい朝は海に出て 夜明けの風をさがそう 一人ぼっちで海に出て あの
白い風をさがそう」

そんな歌詞だったでしょうか。古い古い歌なのです。

高校の頃、フォークソングを楽しんでいて、たくさんのグループが好きになりまし
たが、ソロではなく、何人かのコーラスが楽しめるグループを好んでいました。

「翼をください」で有名な赤い鳥は、特に好きで、女性ボーカルに男性のコーラス
が重なり、力強くバックアップする歌をいいなと思ったものでした。

当時はまだカラオケ以前の時代、歌がうまい女の子を見つけるのは大変で、当
時はまだ男のようにギターを弾いて歌うなど、目立つことをしないのが女の子た
ちでした。

歌も清潔な歌が多く、若者たちはそんな歌を歌い、肩をゆらして一緒に歌うとい
う時期がありました。

フォーク前期の頃、歌は人と人を結びつけるものでした。
誰からともなく歌い出せば、その歌を一緒に歌うものたちは仲間になれました。
まだ、誰もが一人ひとりを大切にし、どう仲間をつくるか考えている頃でした。

流行もなににも流されず、一人づつ友達を歩いて探していた頃でした。


 

芽吹く茶の山

カテゴリー │デキゴト路地



今日はインターネット広報のお手伝いをしている掛川東山茶業組合に
来ています。

南アルプスの南限と言われる粟ケ岳が見下ろす山裾に広がる茶園33軒が、
集まる組合は緑美しく豊かな味の深蒸し茶を育てています。

今年の初市場を4月16日に迫るこれからが、お茶の美しい萌えを見られ
るのだそうです。

組合は今年初めての試みとして、4月12日に「みやまの里まつり」を
開催します。

女性部のみなさんがつくるおいしいお汁粉をいただきながら、自慢の
深蒸し茶を楽しめます。

当日は取材で行きますからみなさんもご一緒しませんか。

春一番のお茶情報でした。



 

玉子焼きの風景

カテゴリー │メシメシ探検隊



朝一番に玉子焼き話を書くと、興にのってしまい、続けて玉子焼きの話題となる。

先日のざくざく会、ご存知なきむきには、大人が集まって好きなことを言い、持ち
寄った酒を飲もう、何かを食おうという会でありますが、そこにも玉子焼きが出て
まいりました。

毎朝、うまそうな朝餉の様子を書き、「うまそうだねぇ」と言おうものなら「うらやま
しーだろ」というぶん屋のブログでありますが、そこでも話題の、あき姐さんが焼く
玉子焼きが出てまいりました。

ネギをたっぷり刻みこんでおりまして、玉子数個を使ったというふっくら焼きであり
ます。
これがオムレツのようなふくらみを持って出てまいります。

宴会にこんなご馳走が出てまいりますと、全員が一斉に箸を伸ばしまして、最後
の一片になると、お互いに顔を見合わせては遠慮しあいますが、図々しいやつが
それをとり、うまそうに食ってしまいますと、仕舞いとなる。

しばらくは、食べられなかった奴の間で、あいつは図々しいなという、感情が起こ
りますが、すぐに忘れてしまうという頭となります。

もとよりざくざく会は50代の三人で始めた会でありまして、お好み焼きだの玉子
焼きだの、味噌汁だのにうるさい。
と、言いますかそんなものをご馳走として育っております。

いつかザクザク会で、あのうまい卵焼きを一人で独占してみたい、などと誰もが
思ったりする庶民派の会であります。

マグロのフレークの一缶食い、玉子掛けごはんの玉子全部使いをしたいなどと
言うのも兄弟で分け合って食べていた頃の名残であります。

顔をつきあわせて、一緒のものを分け合って食うこと、これほどの喜びもない。
そんな時にも、50代のごちそうはやはり玉子焼きなのでありました。


 

タマゴな世代

カテゴリー │メシメシ探検隊



世代を表すのに食べ物の大切さがあります。

今や飽食の時代、こんなに消費されるのかと疑いたくなるほどの野菜がマーケ
ットに並び、食材は選びきれないほど積まれています。
でも思い出してみれば、食べ物を大切にしていた時代があったのです。

巨人、大鵬、玉子焼きという子供が好きな三種を呼ぶ言葉がありました。
大鵬とは昭和の名横綱の名前で、強くてよい男、まだチャンネルが少なく、家
長である父の威厳が高かった時代、夕方のテレビは必ず相撲が流されていま
した。

子供たちは相撲を見、野球で巨人を応援して育っていったのでした。

そしてもう一つの玉子焼きは、ご馳走の代名詞でした。

お弁当に黄色の玉子焼きが入っていれば、うれしくてたまらない。
まだまだ後のハンバーグが一般的になる前では、玉子焼きがお弁当のおかず
の横綱なのでした。

今でも朝食に玉子焼きが出ると、「ごちそうだね、ありがとう」と微笑んでしまう。

若い皆さんはそんなことはないかもしれませんが、お父さん、お母さんに聞いて
みてください。
みんな玉子焼きが大好きなんですよ。

お弁当のおかず交換では、玉子焼きの味比べが行われていました。
家によって甘くしたり、中に何かを入れたりといろんな”おかあさんの味”があっ
たのです。

結婚した後で、玉子焼きの味に驚いた、なんて話もあったのですよ。

朝の玉子焼きは今でもごちそうのひとつです。


 

まつり兄弟、わが兄弟

カテゴリー │友達100人できるかな



一度会いますと、お互いに友が好くない同士でありまして(ほんとか)写真を
撮りあう。

一昨日のざくざく会でのひとコマ話が続きます。

ところは浜松の下町、山下町の路地にあります小間物屋ぶん屋の奥座敷、
ざくざく会の席は続きます。

ぶん屋さんとの出会いは、波乗りでありまして、誘われるままに波乗りの見
物に行きまして、そこで出会い、次に会った時に互いにまつり好きだと知る。
やがて店を開いたぶん屋に通うようになり、大黒屋さんという共通の師匠を
得まして、ざくざく会がはじまったというわけであります。


 

コリャリハビリ湯

カテゴリー │デキゴト路地



三日間缶詰になっている。
事務所を離れて仕事をすれば始めボウボウ中パッパと、サボりもせず
真面目に、悔い改めて仕事をしておりましたが、もういけない。

肩はカチカチ、目はフラフラになり腰まで一触即発の危険な重さに
なってまいりましたなどと長口上を申しあげますのは、銭湯ににげこん
だからなのさ。

根は真面目でありましてサボれませんが、仕事も遊びも同じテンション
ですから、銭湯でもガシガシ体を洗い、サウナでは隣のオジサンと勝負
してしまいます。

買ったと喜ぶ頃にはすっかり疲れてしまっております。

それでも大好物ね銭湯につかりますれば、サッパリといたしました。

同名の有名人の言葉を借りれば、「ごちそうさまでした」

腰も軽く出てまいりました。



 

やさしさの貝合わせ

カテゴリー │イチロー的ココロ



先日ブログ仲間が「大漁でしたよ」と持ってきれくれたのが、浜名湖のアサリ
でした。

お店で買えば粒も揃い大きな貝になりますが、手で掘ってくれたアサリは殻
の大きさもさまざまです。

それでも味が濃く、フライパンで酒蒸しにされたアサリはたっぷりの塩味を
身に含み、殻をつまんではツンツンプルンといただきました。

「これ本当にお酒だけ?」と聞いたのは、その強く深みとまるみを持つアサリ
の汁の味でした。

袋にズッシリの旬の味、いただきました。

モノを買うのは簡単ですが、いただくことは、その方が「食べさせてあげよう」
という心がこもります。

浜名湖の砂の中から、まごころと共に腹の中へ。

二枚貝の貝殻は一つも別の貝とは合うものがありませんが、人の心は合わ
せることができる。
ありがとうのアサリ酒蒸しを楽しんだのでした。

たまには貝掘りにも行ってみたいな。


 

髪に黒玉かんざし

カテゴリー │小間物がたり



年がら年中、バリカン頭をしておりますと長い髪がうらやましい。

特に女性の長い髪は姿も形もさまざまに変わり、イメージを変えることができ
ますからうらやましいものです。

どれが似合うかしらと、小間物屋ぶん屋の店先で、あき姐さんがアドバイス
をしております。

「紅い玉が好きなんだけど」と髪に挿し、合わせ鏡で具合を見ては悩むのは
簪を選ぶ女性の喜びです。

くるくるっと髪をまとめて、お団子をつくり、斜め上45度以上に挿すのが失く
さないこつだそうで、そんなことも男には初めて聞くことだったりします。

「黒玉も素敵よ」、合わせ鏡は幾種類もの簪を映しては迷わせる。
髪飾りで悩む女性の姿というのも、ちょっと見たところがよいものであります。

普段使いに、これからならまつりにと、ちょいとした演出となる簪ファッション
は挿す女性にも、こうして眺める男たちにもよいものです。

絆纏だ、帯だなんて男も騒ぎますが、女性たちもまつりの楽しみを見つけて
いる。

3月も末、小間物屋の店先に悩む女性たちの姿を見かける頃となりました。


 

白くかすみ草

カテゴリー │花ばなしい



野原萌える季節、萌えるを正しく使えば、今の季節がぴったりです。

先日見つけたキャベツ野原、そこは放置された畑で、大切なキャベツがごろ
ごろと育つ中に雑草たちが勢いよく生えているのです。

その土手を白くかすむように見せていたのは、白い小さな花の群れでした。

花はとても小さいけれど、あまりにたくさんの白い花にかすんでいたのです。

こういう光あふれる場所を見つければ、誰かに教えたくなる。そこへチェアを
持っていって一休みポイントにするのです。

小学校の頃、そういう隠れ家を見つけては遊びませんでしたか?
郊外へ引っ越してからは、田んぼのあぜ道のような通学路を歩きました。

今では大団地になっている山も隠れ家をたくさん見つけることができました。

今でも覚えているのは、秋の田んぼです。
はずに干された稲が脱穀され、稲藁は田んぼに積まれています。

その詰まれた稲藁を積み替えて、中に秘密基地を作るのです。
学校から帰ると、まずは食料の調達です。
秘密基地を作った仲間が、食料のお菓子を持って集まり、稲藁の甘い匂い
の中で過ごすのです。

そんなことを書いているうちに古いフォークソングを思い出しました。

「スケッチ」というNSPの歌で、よく歌ったものでした。

「通りを抜ければ景色はあるさ、小鳥も飛んでるさ、田舎の道は草のソファ
がふわふわしてるよ スケッチしに行こう」という菓子は、まるでこの季節の
歌ですね。

さて、仕事仕事、今日も景色の中を抜けて、逆に事務所に向かいます。


 

ラッパの季節

カテゴリー │友達100人できるかな



昨晩のザクザク会は、勝手に盛り上がる大人の会、そこにラッパが登場しま
した。

ざくざく会場のぶん屋さんは、ご夫婦でまつりのラッパ太鼓を担当し、ドンドン
パッパッと威勢がいい。
一度吹かせてみろと、大黒屋さんと、コースケがラッパの練習を始めました。

この季節の浜松は、夜ともなればラッパの音がどこからともなく聞こえてきま
す。どの町内も子供たちを集めてラッパの練習に余念がなく、ラッパだけの練
習が続いた後、太鼓が入り、「おいしょ、やいしょ」と練り声が聞こえれば、ま
つりのワクワクが高まってきます。

まつりで初子(凧で祝う子供を初子(はつご)といいます)は1歳の頃にドンドン
パッパッの洗礼を受けます。
初祝いの時は赤ちゃんですから、覚えていないはずですが、次の年には歩い
て子供連に参加してくれます。

「ラッパの音がすると、手をあげてよいしょよいしょって騒ぐのよ」、お母さんたち
は必ずそう言うのです。

初子は幼い記憶にまつりDNAを注入される。

浜松っ子はこうして育っていきます。ラッパが鳴れば体が動いてしまうのです。


 

サラサラを教える

カテゴリー │花ばなしい



野原はペンペン草の季節です。

自分が知っているからと思って、誰もが同じ経験があると思ってはいけません。
野原のペンペン草をとって実のつく枝をスルリと下に茎をむく、誰もが知る、シャ
ラシャラと鳴らして遊ぼうとしていると、「何をしているんですか」と言う。

若い世代ではもう野の草遊びを知らないのです。

ペンペン草の原に座り、ひと枝ごとスルスルとむくのは、のんびりとした野の
遊びです。

全ての実をおろしたら、耳の横で振れば、「シャラシャラ」と音がする。
たったそれだけの遊びが、春の野遊びなのです。

オオバコの茎穂を見つけたら、草相撲をする。 二本をかけあって引っ張り合い、
切れたほうが負けという簡単な遊びです。

太いオオバコを探しながら野を行けば、どこまでも相撲は続くのです。

春の野はシャラシャラ行くよ。子供たちに教えてゆく失われつつある遊びなの
でした。

子供に教えてあげてよ、うんうん プツン! 次のオオバコ探しをする春の野
に幼い日を思い出したのでした。


 

プレミアムぶん屋

カテゴリー │友達100人できるかな



昨晩は浜松山下町の小間物屋ぶん屋さんの奥座敷で”ざくざく会”の仲間と
大いに酌み交わした。
(喉が渇くのは飲みすぎたからだ・・オレンジジュースおいしい)
魑魅魍魎が集まる会などと言われますが、肝腎朦朧にもなると言う。

そこで26日発行と聞いていた中日ショッパープレミアム創刊号を見せていた
だいただきました。

そこにはぶん屋さんのインタビュー記事があり、ぶん屋さんと大黒屋さんの
出会い、”SEAESファクトリー所属のイチロー”が写真を撮ったなどとも掲載
されております。よろしければご覧下さい。

中日ショッパーは中日新聞の別冊広告紙ながら、新聞の日曜別紙のように
特集が組まれ、読む楽しみがあるものですが、今回のプレミアムは読みもの
たくさんでこれからも紙面が楽しみなものになりました。

暖簾の前のぶん屋師匠といった風情の写真が掲載されていますが、写真を
とお願いされて撮った写真数十枚の中の一枚が採用となりました。

じつは店の中での写真を中心に、温和な笑顔の写真を撮りました後、外に
出て暖簾の前でもと撮った写真が使われておりますが、この撮影日は強風
でありまして、暖簾がまくれあがることしきり、風のやみ間の一枚が採用され
たものでした。

ぶん屋さんとは開店前からのつきあい、笑顔の魅力もシブさも知っております
が、もうちょいと優しい顔で載せていただきたかったなどと欲ばっております。

まあ、、直接小間物などをご覧に行っていただき、話してしていただければ、
その魅力にひきずりこまれる・・・ことは間違いありません。

というところで、中日ショッパープレミアム、ご覧ください。