ジェミニな夏

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「ボディカラーによって夏の暑さが変わるよ」

そんな忠告も聞かず、東京での修行時代を終えて浜松に戻ると、真っ赤な
ジェミニを中古で買い求めた。

久々の故郷浜松は高校時代とまったく変わってしまっていて、道さえわから
ない。昭和56年頃のお話です。

浜松市役所から北へ伸びる現在の住吉バイパスが目新しく、かつては天林
寺の山でとまっていた道が北へ伸び、浜松が北へ北へと発展していった年
でした。

かつては北へ向かう街道は電車通りと二俣街道、静大のある和地山を通る
姫街道のみ、高校時代には北はまだまだこれからといった地域のように思え
ていたのです。

購入した赤ジェミニは、春はポカポカな車でしたが、やはり夏はボディをさわる
ことさえならず、「チンチン」に熱い車になりました。
ワックスがけを日課のようにこなしましたが、一度日陰で冷やしてからやらな
いと、輪をかいてかけるワックスがタチドコロに乾き、跡が残る。
そんな車でした。

その頃発売されたばかりのゴルフを買った仲間も赤いボディを選ぶ、時代だ
ったのでしょうか、赤い車はスポーティな若さを演出しているように思えていま
したね。

毎週ドライブして、浜名湖の都築にある東急サニーパークのプールに出かけ
一日を湖岸で過ごす。
ディンギーを借り、毎回頭をヒットさせて、湖に落ちる。

ライフベストがあるから、プカプカと浜名湖に浮く。
浮いていると、まわりにクラゲがどっさり寄ってきて、あわててディンギーに
あがる。
そんなことをしていました。

すっかり夏の日が暮れた頃、1.8リッターのジェミニLSに乗る。
ワタナベのホイルにもらったファイアストーンのゴツゴツした乗り心地の太す
ぎるタイヤをはき、夜ともなれば各地の花火大会を見に行った頃。

ジェミニは名前のとおり、ぼくの双子の兄弟のようにお供してくれました。

通販で買ったオペルのイルムッシャーミラーを会社で取り付けた。
振動でネジが飛んでしまうような車なのでした。

☆この中年乗り物大全は、ふつつかものさんとのコラボ企画でお送りして
おります。


 

VWポルシェ

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いつの時代も手軽にスポーツカーを乗り回したいというニーズはあるもので
スポーツカーは一部のマニアの物だけでなく、スポーティ好きの市場でも
ある。

この車ポルシェ914はポルシェの初の量産スポーツカーとして販売をされた
車でした。

共同開発したのはご存知フォルクスワーゲンでしたから、別名「ワーゲンポ
ルシェ」などと呼ばれており、初期のポルシェエンジンから、後期のワーゲン
エンジンまで、まさにボディと設計がポルシェ、エンジンはワーゲンという車
でございました。

この時代、フロントエンジンリアドライブ(FR)、リアエンジンリアドライブ(RR)
フロントエンジンフロントドライブ(FF)とは違う、ミッドシップという2座席の後
ろにエンジンを積み、リアを駆動する車が多く発売されています。

イタリアのフェラーリは別格として、イギリスのロータスヨーロッパなども同時
代のミッドシップ、ミッドシップのドイツ版のスポーツがポルシェ914でした。

スポーツに+の魅力、それが走るだけではない車の楽しみです。
スポーツカーは馬力だけにあらず、使うシチュエーションの提案がなければ
販売が伸びない。

ポルシェ914は、ミッドシップという走行性能に加え、タルガトップを採用します。
2座のシートの上のルーフをFRPで作り、これをはずしてオープンエアを楽し
める。

これは本家ポルシェ911にもタルガはありましたが、914ではより現実的に
楽しめたものでした。

914をご覧になったことがあるでしょうか、ワイドな車幅、低い車高の屋根を外
し、後部トランクに収めることができた。

こういう車は、屋根を取り外して乗るのが定石、フロントウインドウのピラーと
後ろのピラーに手をかけ、ドアをあけないで乗り込むことができた。

そんな提案がスポーティ好きに大変受けたものでした。

ポルシェ914は時代のデートカー、2座を有効に生かしてスポーティな走りも
楽しめる、さらにオープンにもなるのですから、これが売れセンでもあった。

同時代に同じような車体を持つフィアットX1-9に乗っておりました。

やはり、敵はこの914、ポルシェというブランド力がありました。

「ああ、ワーゲンポルシェね・・・」若き日のイチローはうそぶいていたのであり
ました。

☆この中年乗り物大全は、ふつつかものさんとのコラボ企画でお送りして
おります。
☆画像はGAZOO.comさんからお借りいたしました。


 

町内広場のフロンテ

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1967年の発売というから、スズキフロンテ誕生の年には、まだ僕は9歳とい
うことになる。

当時僕は、浜松の大瀬町の鷺ノ宮団地に中央から引っ越したばかり、子供た
ちが多くて、遊び仲間がたくさんでき、田んぼや、お宮や川があって毎日ドキ
ドキして過ごしていた。

団地の真ん中に水路のような川があり、そこでの魚釣り、通学路沿いの田ん
ぼにはザリガニがはりつき、通った積志小学校は2000人に届かんという児
童数がいるマンモス校だった。

団地は人がたくさんいて、スーパーマーケットが確か二軒あり、団地の中央
にある広場ではさまざまな催しが行われていた。

近くにあった大瀬モータースさんが車やバイクを持ち込み、展示会を開く。
まだまだ車など家庭で持っている人は少なく、父に連れられて見たのがスズ
キのフロンテだった。



この後、フロンテはスポーツモデルSSが登場して販売を伸ばす。

このフロンテはRR(リアエンジンリアドライブ)、つまりエンジンが後をのせ
後輪を駆動する車、現在ヒット中の三菱iと同じ方法をとっておりました。

スバル360の成功を受けてスズキが量産ヒットを狙ったスポーティな車で、
子供ながらSSのかっこよさを印象的に覚えています。

その後、団地の広場にジムニー初期型が登場する。

「ジープだぜ、ジープ」

戦争映画やコンバットなどを見ていた我々には、幌をはずしたジムニーは
ジープそのもの。

子供たちが群れてもモータースのおじちゃんは、快くシートに座らせてくれ、
「お父さんに渡して」とカタログをくれる。

そんな車のパンフレットは僕ら少年たちの宝物になったものでした。

あの頃はどの水路にも、赤いアメリカザリガニが大きなハサミを振りたてて
僕らを威嚇していました。

お宮のそばの草むらにはカミキリムシがギィギィと鳴いていたのでした。

うちが始めての車、トヨタパブリカを買うのは、まだ数年後のことでした。

☆この中年乗り物大全は、ふつつかものさんとのコラボ企画でお送りして
おります。
☆画像はGAZOO.comさんからお借りいたしました。


 

クミコ、君を乗せるのだから

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高校時代をフォークソングを歌って過ごしていた青年も、しっかり恋をする。

「動機が不純ね」というフォークバンドは、もちろんもてたい為だったりする
高校時代、なかなか本物の恋はうまくいくはずもなく、歌手や女優さんに
夢中になる。
もともとミーハーなのであります。

それでも高校3年にもなれば、車の免許をとりに通い出す、卒業と同時に
東京で就職が決まっていたから、免許が必要なのでした。

フォークと女優、そしてこのブログテーマ”中年乗り物大全”に車が出てく
るか、その接点に一人の女優さんがいたのでありました。

日産チェリーなどには興味がなくても、テレビCMであの憧れの女優さん
が「久美子、君を乗せるのだから」という名コピーとともに出てきたのです。

ポスターになったり、CMだったり、雑誌の広告にのったり、その人、秋吉
久美子さんは、純情な高校生の憧れの人だったのでした。

南こうせつとかぐや姫がヒットさせた、「赤ちょうちん」「神田川」「妹」などが
次々と映画化され、その主演女優として抜擢されたのが秋吉久美子さん。



フォークを聞いて、その詞の世界が映画として表現され、決して幸せには
なれない、青春の陰を演ずるのが彼女なのでした。

1954年生まれの秋吉久美子さんは、4つ年上、映画では当然、性もテー
マとなり、我らが久美子さんが裸のポスターになったりする。

恋の次に来るものに、漠然と、確かに憧れ、衝動する。
フォークと、女優、そして車が結びついたのが、この車なのでした。

若さというのは、時間が無限にあること、限りなく一緒にいられると思った
夏は過ぎ、冬が来て、受験、就職と別れ別れになる季節が来る。

青春の時間が無限ではないと気づいた頃のことでした。

日産チェリー、久美子、君を乗せるのだから。

わが、チェリーな青春時代の頃のことでありました。


 

中年乗り物大全

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ふとしたことから意気投合、二人の共通の時代を語ろうじゃないかと
始まった、”ふつつかもの”さんとの交流

二人に共通なものといえば、”車”
過ぎ越してきた時代を振り返り、今は絶版になった愛しい車たちを時
代の個人的エピソードを含めて色っぽく語ろうじゃありませんかあなた!

ってことになりまして、第1回目は導入編でサニー(イチロー)、第2回
シビックRS(ふつつかものさん)を書いております。

末永く、続くことを期待しております、なんて書いたらお互いにプレッ
シャーでございます。

昨今の車は工業製品化して、より分業が進み、部品組み立て製品に
なっております、もちろん性能はさらにすばらしくなっているのであり
ますが、あの進歩と成長の時代の産物とは、ちょっと別なものになって
おります。

我々のまだ成長と進歩の時代を汗かきべそかきとして振り返るのはま
だ早い、ならば車でいこうじゃないかと思います。

不定期盤のオヤジノタワゴトでございますが、両ブログでお楽しみくだ
さいませ。

またオレも語るゼという熱きオヤジ、そのオヤジの子も歓迎でございま
す。
自らのブログに、「中年乗り物大全」というカテゴリーをつくり、語りに語
っていただくだけ、どうぞご参加をお願いいたします。

中年乗り物大全のご閲覧をお願いいたします。はい。


 

サニーな頃

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同世代の”ふつつかもの”さんの合意をいただいたところで、ぐっと力んで
車話を書く。

お題は女性を車になぞらえる・・・難しいお仕事?です。

構想を膨らめている間に、プレ版としてこれを書いてみるのです。

さて、極私的乗り物大全の第1回は、サニー。

日産にあの濃いお顔のフランス人ゴーンおじさんが来て、サニー、グロリア
、セドリックなどの歴史的名車の”名前”を廃盤にしちゃったから

”サニー”という車も既に伝説のものになってしまったのであります。

先ごろカローラ40周年とかでカローラがなぜに売れたか?などという考察
を車雑誌のみならず、新聞までが扱う。

カローラがデビューしたのは、当て馬のサニーが日産にあったから、ここに
注目していただきたいのであります。

カローラデビューの前に日産が発売したのはサニー1000という車でありま
して、端正な小さなセダンの美しさは当時小学生だった僕にもわかる。

なにせ、車が家にある家はなかなかのお大尽だった頃、小学校の担任の先
生がサニーに乗っていたからでもあります。

サニーに次いで発売されたのが、サニークーペ、この”クーペ”という言葉が
新しく。

ファストバック(屋根の後ろが車の後端まで斜めにスラントする形状)のサニ
ークーペは一世風靡したのでありました。

カッコよかったですねえ。

世は高度経済成長時代、車がドシドシと売れてくる時代だったのであります。
小学生までが、車に興味を持ったということは、世の流れが”車”だったから、

小学校からの帰り道、国道を通っては「おっ!サニークーペだ!」「カローラ
スプリンターだ!」「マツダコスモ!」「ムスタングだあ!」

なんて小学生が騒いでいたのであります。

今も覚えている小学校の修学旅行は名古屋、名古屋港や、小牧空港を見学
した後、トヨタ自動車に行ったのです。

この時に、あのトヨタ2000GTを目の当たりにする。

三つ子の魂百までも・・・車好きな人生は、高度経済成長時代にあった!

というところで初回を終えたいと思います。

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