シーグリーン sea green

カテゴリー │洋色字典



和の伝統色の旅を終えて洋の色へ、洋の色名を見るとふと歌詞
が浮かんでくることがあります。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦してい
ます。

決して歌がうまいとは言えないリンゴ・スター(このリンゴと
いう名が当時小学生だった私たちには親しみを感じた)が鼻声
で歌えば、ちょっとファニーな歌となる。

Yellow Submarine(イエローサブマリン)を自分でもギターを弾
いて歌った覚えがありその歌詞の中に確かあったと探してみる。

「Till we found the sea of green」、ほら見つけることができまし
た。

このところある仕事で海を眺める時間が多い、晴れた朝の太陽
の下では透き通った青となる海がやがて陽が高くなるとむしろ
青よりはグリーンに近くなるのです。

子供の頃にならったように、水も空気も層となれば青く見える。
「地球は青かった」しかり、青い海もそれを表している。
けれども、「海は緑であった」とは言わない。
それでもリンゴはイエローサブマリンで「やがて緑の海を見つ
けたんだ」と歌うのです。

地球は青かった、海も青かったけれど、海はときに緑だったと
ここに言い残しておく。


 

ネープルスイエロー naples yellow

カテゴリー │洋色字典



「See Naples and die」、ナポリを見てから死ね、と言われるほ
ど温暖で風光明媚なナポリはイタリアにある憧れの街である。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦してい
ます。

ナポリの太陽の色ともとれるこの色を見て、さてもっと濃い色
であったのではと想うのは私たち日本人である。

喫茶店に通いさまざまな洋食を試し覚えた時代、ピラフとナポ
リタンという定番は誰もが好きになった喫茶店料理となった。

さてこのナポリタンは日本独特の料理だそうで、現地にはナポ
リタンという料理はあれどスパゲティにあのようにからめる料
理をナポリタンとは呼ばないという。

喫茶店で食べたあの料理は日本独自の料理でありまた各店で工
夫されたマスターやママの味である。
それをたっぷり食べて唇のまわりにそのソースをつけて私たち
は育ったのである。

「naples」と見て「nipples」と読み間違えてしまった。
nipplesとは「乳首」であり、こんなことは高校英語まででは教
えはしない。

小説家の胡桃沢耕史が書いた「翔んでる警視(正)」の一編の
章に出てくる言葉である。
内容を書くのははばかれるが、男性それも地位のある人物がじ
つは乳首愛好者であり、それがまた男性のものであったという
ううむと考えてしまう内容が強烈でその名を覚えている。

なんでもかんでも読んでみるとその単語を覚えてこんなところ
で間違いを披露することになるのである。



 

レッドred

カテゴリー │洋色字典



太陽に手をかざせば真っ赤に流れる血潮の色を見ることがで
きる。誰もが歌った「ぼくらはみんな生きている」の一節です。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦してい
ます。

子供たちの血潮を映す太陽もその手も若さを表している。
けれどもその色はむしろ子供たちより熟年になってからが似合
ってくるのです。

若い間はどんな色でも顔色も元気もよい青年たちは着こなすこ
とができますが、ちょっと角を曲がった齢になればくすんだ色
の中に私たちは取り込まれてしまう。

私たち世代はむしろ赤を含めた明るい色が似合うようになって
きているのです。

真っ赤なシャツを着てみましょう。オレンジ色のポロシャツを
着てみましょう。その色は私たちの顔に照り返しぐっと顔色を
明るくしてくれます。
ちょっとしたオシャレは思い切った色への挑戦なのです。

青やブラウンなら無難なところですが、思い切って赤いシャツ
を選んでみる。服装が決まったならばさらに思い切って真っ赤
な車に乗ってみる。

これからの季節、真っ赤なスポーツカーに乗ってゆくのは若者
の特権ではありません。
むしろ白い髪が目立つほどのご夫婦がちょっと派手目の服装で
オープンカーに乗ってゆくほどカッコイイものはありません。

僕らはずっと生きている。生きてきたから美しい。
真っ赤なシャツを買ってみることからはじまる楽しみがあるの
です。


 

ローズダストrose dust

カテゴリー │洋色字典



スターダストであれば「星くず」という美しい言葉となる。
さてローズダストとすれば、それは美しきものの陰りの比喩
としてみたい。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦して
います。

美しきものの象徴とされる「薔薇」、気高く孤高の美しさを
持ちながら棘を持ち、むやみに近づくものを警戒しまたむや
みに手折られることもないのだとされる。

薔薇を贈ることはその美しさに勝るものだとする行為である。

薔薇はその美しさゆえに美しい女性に与えられる。
その薔薇なる女性にも「かげり」の時がある。
美しく孤高なるもののかげりこそ謎なのである。

かつて美しき南沙織という歌手がおりました。青春そのもの
のデビュー曲「17才」から11曲目のシングルは青春を越えた
女性の心を歌っている。

恋とはもう美しいばかりではないのだと彼女は歌えば、私た
ちはその美しさだけでなく内面まで大人となった女性として
彼女の歌を聴いたのです。

「恋する朝は薔薇の小枝を摘んで」と歌い出す彼女は、去っ
てゆく恋人を「平気よ」と送りだしてしまう。
その心にも表情にも「かげり」を持った彼女は大人の女性と
なっていた。

薔薇なればこそ、さらに美しくなることを義務づけられもす
る。「薔薇のかげり」というタイトルに彼女の成長を見てい
たのです。

そしてかげりある美しさは彼女を「青春アイドル」そのもの
から成長させていったのです。


 

ブルーラベンダー blue lavender

カテゴリー │洋色字典



かつて富良野に向かう電車に乗って営業の旅をしたことがあ
りました。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦して
います。

まだまだ住宅が性能評価される前のこと、建材商社で次世代
の販売の主力となる建材を探す仕事をしておりました。
その先取りをしていたのは寒い地方のみなさんが住まいづく
りに導入していた高気密・高断熱の窓たちでした。

現在では当然化されたペヤガラスを入れた窓は当然ながら、
アルミサッシではなく木製サッシというものがありました。
そのメーカーの一つが北海道の富良野線沿いにあったのです。

電話で訪問時間を告げただけでしたが、現地のメーカーの人
たちは暖かく迎えてくれた。
どころか駅から駅までの送迎のほか、快く試作品まで製作を
約束していただき、遠い旅の成果をあげたのでした。

東海道線しか乗らない私たちは北海道の旅はとても不思議な
列車旅に思えます。
東西に海岸沿いに並んだ東海道の町は隣の市や駅は東西に並
ぶのみなのです。

北海道は北へ行ったり南に下ったり、町と町が縦横に並んで
います。そしてその町の間に原野を見たり、地平線を見たり
して行くのです。

東海に生まれ育てば、東の東京、西の名古屋や大阪と東西の
感覚のみで生きてはいられる。
大きな北海道は二方向しかしらない私たちにはとても不思議
な感覚なのです。

町に生まれるのではなく町を作ってゆくような感覚。
北海道の人の懐と心は広く、東西南北に広がっていることに
気づいた旅でした。




 

ターコイズグリーン turquoise green

カテゴリー │洋色字典



英語で国の名を覚え、その国の人の呼び名を知る。
アメリカであればアメリカン、私たちはジャパニーズと呼ば
れています。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦して
います。

さてturquoise とはトルコ石のこと、この綴りにあるようにト
ルコを表し、その国の人はターキッシュと呼ぶ、食べたこと
はありませんが外国ではターキー(七面鳥)はごちそうの
一つだと知っています。

子供の頃はトリの丸焼き料理などは食べたことがありません
が映画やアメリカのファミリードラマではオーブンという料
理器具の中にトリの丸焼きがおさまる。

それを見ては肉をむしりながら食べるその料理がおいしそう
だと思っていたものでした。

さてこの七面鳥なる我らにはあまりなじみのないトリ、中央
アメリカの原産だそうで、つまり新大陸(アメリカ)が発見
されてから食卓にあがるようになった。

アメリカの先住ドリでありますが、古くからアメリカ人には
馴染みとなりまたご馳走にもなったという。

じつはあのトリの丸焼きというのが苦手で仕方ありません。
骨付きなところがもっとも苦手でありましてケンタッキー・
フライドチキンなどがちょっと怖い。

むしっていただければお味は結構ですが、自分でむしるとな
るとどうもいけない。
私などは新大陸を発見しても、七面鳥に追いかけられるほう
になっていたでしょうな。

ターキーはトルコ人、ターコイズはトルコ石、ちなみにヨー
ロッパには七面鳥はいなかったそうで、後にアメリカからト
ルコ経由で輸出されたホロホロ鳥との混在からだそうです。

トルコ料理はうまい、ホロホロと涙するほどうまいわけであ
りましてこの料理はアメリカ鳥だと宣伝すれば、その鳥は
トルコの鳥、ターキーとなったのでしょうか。

今度七面超をむしってもらっていただいてみましょう。


 

クリームイエロー cream yellow

カテゴリー │洋色字典



ビスケットを買ってきてくれ。年老いた父は懐かしい味がする
プレーンなビスケットが好きで求めるのです。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦してい
ます。

ビスケットは子供たちのごちそうです。お菓子などそんなに買
ってもらえなかった頃、丸くて甘くて香ばしい香りのビスケッ
トを買ってもらえば弟妹と分け合って食べるごちそうでした。

そのビスケットを好きなのは「オオカミ」さんでした。
その時代の子供は「おかあさんといっしょ」を視てはそのコー
ナーである「三匹のこぶた」を楽しみにしていた。

お姉さんが箱から三匹を取り出し、箱の横についている手回し
レバーをキリキリと音を立てて回すのです。
すると三匹が動きだし、主題歌がはじまるのです。

「ブーフーウー、ブーフーウー三匹のこぶた」

一番上はブーです。ブーブーブーのぶつぶつや、二番目はフー
、フーフーフーのくたびれや、三番目がウー、ウーウーウーの
がんばりやだと覚えているのです。

このお話にはオオカミさんが出てきます。メキシコ人のような
ポンチョや帽子を被っていたように思います。
三匹をいじめたりしますが、三匹は力を合わせてオオカミのた
くらみに負けないのです。

それでもオオカミさんが優勢な時にはお姉さんがビスケットを
あげます。オオカミさんはそれをおいしそうに食べるのです。

記憶だけで書けばどこか間違っているかもしれない。
けれど父のために買ったビスケットから一枚もらい、甘く香ば
しいその味を楽しめばオオカミさんが好きなのがわかる。

ビスケットはやさしい味、オオカミさんだってやさしくなる
ような味なのです。


 

ポピーレッド poppy red

カテゴリー │洋色字典



風に揺れる花を見ながら車を走らせれば風までがその色に染
まる。
季節になればその道を通る楽しみを持っているのです。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦して
います。

東海道を上り静岡の手前にお茶の町岡部町があります。
先の広域合併で藤枝市に組み込まれましたが歴史あるその
町と人たちが誇りを持って暮らすお茶の町です。

岡部町から山へ向かうと「大竜勢(おおりゅうせい)」で有
名な朝比奈地区があります。
玉露で有名な朝比奈にはいざという時に駿府城を守る朝比奈
氏の一族が住んでいた。

高いたかいやぐらを組み、ロケット花火を十数メートルもに
大きくしたような大竜勢を打ち上げる。
地域ごとにその竜勢の打ち上げの高さと、大空で破裂して開
いてからさまざまな薬物が繰り広げる大空のショーが大竜勢
の楽しさです。

その朝比奈に行く道に季節になるとポピーが咲くのです。
水清らかな道沿いの住宅地のみなさんが蒔くのでしょうか、
特に赤くふわりやわらかい花ポピーがあの産毛をつけた茎を
揺らしながら居る。

その季節にその道を通りたいと朝比奈の友を訪ねるのです。
ポピーは最も女性らしい花だと思います。
ふわりとやさしいスカートを履いた若い女性たちが風の中で
手を振っているようです。

種が飛ぶのでしょう その道は毎年広がってゆくのです。


 

ピンクアーモンド pink almond

カテゴリー │洋色字典



アーモンドの花をご覧になったことがありますか?
その花の色は桜とも桃にも似た花の色、それもこの季節に咲く
のです。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦してい
ます。

じつはアーモンドはバラ科サクラ属に属している。

かつて花の街でもある浜松のフルーツパークで見たことがある
のです。
(じつはフルーツパークの建築に一部に参加したんですよ)
時もとき、今がアーモンドの花の時期なのだそうです。

アーモンドはまた青春の象徴でもある。
私たちの青年期には名だたる俳優や女優、歌手たちがチョコレ
ートのCMに出演していた。

そしてアーモンド型にふくらんだアーモンドチョコレートを
パキッとくわり割る音を聴いていたのです。

時は移り、アーモンドの名を持つ色について書くことになれ
ばやはりその名は青春のピンクの色をしている。
花膨らみ開く色とはまさに青春を謳歌する季節にも似ている。

花には青春の萌える様子に形容される。リンゴの花の下なら
ば「まだあげ初めし前髪の」と年若い女性に例えられる。

ならばアーモンドはどうか、それはもう少し大人に近づくも
まだ初めし季節を表す色を持つと思いたい。

アーモンドはビタミンを豊富に持ち、体にもよいのだそうで
す。今度久しぶりに「パキッ」としてみましょうか。
紙を銀紙ごと破り、アーモンドチョコレートを露出させる。
そして横ぐわえして音高らかに噛み割る。

アーモンドチョコレートで気持ち若返ってみるのもよいこと
でしょう。


 

ウイスタリア wistaria

カテゴリー │洋色字典



「wistaria」とは藤のことである。などと辞引いて覚えながら色
の道の旅は続く、色との出会いは言葉の意味を知る旅でもある。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦してい
ます。

さて海外にも藤棚があるのかは知らないのだが、あの棚から房
となって垂れる様子はじつに和を感ずるところとなる。
ここ遠州(静岡県西部)にも藤の名所が各地にあるのです。

熊野(ゆや)の長藤は天竜川の東河畔の名所で、行興寺に育つ
藤のこと、樹齢数百年と言われ平安の頃から愛でられたといい
、長さ1mほどに垂れ下がる房を見ることができます。

この藤棚でかつて磐田の和菓子屋の主人が菓子を売るのに出会
いました。
その小さな、ささやかなと言ってよいほどの店には藤の名所を
訪ねた人に地元の菓子をすすめるものでした。

気づけば主人自身がそこに立ち、藤見の客に供している。
花の下は花だけではなく初夏を迎える平和に満ちているのです。

一つふたつと買い、お茶をいただきながら楽しむ長藤は紫の天
蓋を作っています。
その下に満ちているのは花と共に日々の暮らしの平穏なること
を願う人たちの笑顔なのでした。

車椅子を押してお年よりを連れている人がいます。
駐車場がある天竜川の川原から土手にのぼり、初夏の風に吹か
れている人がいます。

花は咲くだけではなく空気を満たすものです。
その空気は人を長い房を見上げさせているのです。

ずっと上を向いて歩こうと教えてくれるのです。



 

アイスグリーン ice green

カテゴリー │洋色字典



ソーダ味の色を見てガリガリ君あたりを思い出しながら別の話
を書こうと思いついています。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦してい
ます。

ヨーロッパの殆どが北海道ほどの緯度以上にあると教えられた
のは小学生だったか中学生時代、社会科地図帳は子供たちの大
好物でもありました。

地図を開き世界を眺め、授業中も外国の海岸線を追って見る。
カナダの北部、当時のソ連の北部など人も住まないような海岸
が続いていることを知る。

真っ白に塗られているグリーンランド(氷の国がグリーンとい
う名前なのがお気に入り)、寒いと言われるイギリスのさらに
地図上の「上」の会場に不思議な形のアイスランドが浮かんで
いる。

みなさんは海に棲む「アメフラシ」という奇妙な生物をご存知
だろうか、アイスランドはその形に似てさらに火山国であるこ
とを知れば、「北方好き」な子供はその地図ばかりを眺めてい
たのです。

海外と聞けば南洋の島を想像する者、香港や韓国などショッピ
ングと考えるもの、アメリカやECのような歴史や観光と考える
者などに分かれるのだが、「北方好き」少年のまま大人になれ
ばやはり北はどうだと考える。

高校生くらいになれば行きたいところはとりあえずアンカレッ
ジなとと答え、そこから乗り換えて北の国をまわりたいなどと
考えていた。

レイキャビクがあるアイスランドは今も「アメフラシ」である
のだが、火山国であるから灰フラシの噴石フラシかもしれない。
行きたい外国と言われると、地図帳を開いて上の方を眺めてい
た子供の頃の癖が治らないのである。


 

サンシャインイエロー sunshine yellow

カテゴリー │洋色字典



かつては洋楽などと言いまして日本の音楽は邦楽などとも呼ん
でいた。中学生にもなりますとラジオで洋楽を聴くようになっ
た。それは音楽を通じて世界の最新を知るものでありました。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦してい
ます。

現代ならばインターネットを通じた情報やテレビが世界の最新
情報を知る手段となりましたが、かつてはラジオがそれを担っ
ていた。テレビが扱うようになるずっと前に世界の才能を知る
ことができたものでした。

世界は音楽に乗って中学生のイヤホンをした耳に響いてきたの
です。(親世代は子供が受験勉強をする時にラジオなど聴くこ
とをよしとしなかった頃のこと)

ラジオから不思議な音色のオルガンの音が聴こえてきれ、その
歌はスティービー・ワンダーという歌手のものだと知る。
スーパースティション(迷信)とも違う、フワフワとした音に
のって彼は「You are tha Sunshine of my life」と歌い出す。

後に世界にその才能を認められる男の歌は確かに他のPOPSと
もROCKとも違う音をしていたことを覚えているのです。

もっともラジオから聴こえてくる音楽はスティービーのみでな
くどれも聴いたこともない音楽、世界の才能たちが競って登場
した頃の混沌と元気が私たち若者を魅了していた頃でした。

色に物語があるのなら、やはりSunshineは「You」との物語が
ふさわしい。
Youこそがスティービーにも私たちにもSunshineであり毎日で
あること。

歌を聴きながら、「外人」も同じように恋をするのだと思った
中学生の頃、音でそらんじた歌を歌いながら、もしかしたら自
分も世界の才能ではないか、などと思いこんだことが誰にもあ
ったでしょう。

じつは私、ポール・マッカトニーより歌が上手だなどと勝手に
思っていたものでした。


 

コーラルレッド coral red

カテゴリー │洋色字典



日本の伝統色四百六十五色の旅が終わり、さてと眺めればさら
に広い世界がある。今朝からは世界の伝統色洋色字典がはじま
ります。

世界の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦してい
きます。今度は285日の世界の旅となります。

さて「coral」とは珊瑚のこと、日本の近海にも生息する石灰質
の骨格を持つ生物でありまして一部加工したものなどは宝石と
も宝飾品ともなる。
沖縄や南西諸島などのほかに高知県も名産として知られていま
す。

珊瑚の紅い簪など「ぼんさん」でも買い求める程のものであり
ます。(昭和天皇が皇后陛下にお土産に買った美しい話があり
ますが、これは和色で書いてしまいました。

さらに南の島なのに行きますと珊瑚礁にあるリゾートがあり、
そこのコテージで終日のんびりするとうう過ごし方があります
が、珊瑚礁は珊瑚が積み重なって海から盛り上がったもの、隆
起した島ではありませんからそこには水が出ないそうでありま
す。

飲み水は全てミネラルウォーターとなりますが、さてシャワー
などはいかがなものか。海水シャワーかなと考えつつ、心配す
ることもない、行けるほどの身分ではないから。

さて1週間などと言わず海外の方などは1カ月もそこにステイ
してバカンスを楽しむという。
海しかありませんから泳いだりもするのですが、そこに本を持
ち込むという見識を持つのがよい。

海のみ、そこではヘミングウェイを読むのだそうです。
珊瑚礁の休みは叶わずとも、ヘミングウェイを読みながら終日
暮らすという過ごし方は憧れる。

私などそれに開高健の本も加えておきたい。
長逗留のお供はシチュエーションに合わせた本の選択なのさと
かなわず旅を想定して持って行く本のことを考えている。


 

浜松まつり中止と記念ワッペン

カテゴリー │凧ばなし



このことを書くのはとても難しい。

事実は「浜松まつり」の中止を市が決めて発表したこと、既に
浜松市のホームページにも掲載されている。

http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/

町内の子供の誕生と健やかな成長を町内で祝う浜松まつり、生
まれてから五月の連休を子供の祭りとして過ごすこととしてい
た私たちに今年がなくなった。

もちろん東北地方太平洋沖地震を受けての自粛である。

今年は浜松市制100周年の年でもあり、参加ワッペンには祝浜松
市制100周年と印刷されていた。
このワッペン(参加証)も幻のものとなった。

多くは語るまいと連尺のBOSSと話す。

けれども浜松まつりは町内に生まれた子供を祝うために大人も
子供も働くまつりである。
「元気に健やかに育ってくれ」と隣人の子を祝うまつりである。
決して酒を飲んで騒いでいるわけではない。

子供たちのために大人が働くまつり、子供たちがそれを見て大
人がすべてきことを学ぶのも浜松まつりだ。
その気持ちだけは自粛はできず、なにか子供たちのためにして
あげたいと考えている。


 

暗黒色あんこくしょく

カテゴリー │色字典



五十三年も生きていれば自分が見えてくる。自分だけでは知り
えないことを知ろうと何かを努力してみる。私にはそれを示し
てくれる師匠がいる。
着物と帯 大黒屋の桑原さんご夫妻である。

日本の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦してい
ます。

2009/12/15 桜色からはじまったこの「色字典」は和色大辞典
いうサイトに掲載されている日本の伝統色456色を巡るものと
して始めた。
毎日一色づつ進み、今日その456色目に達した。

色字典をはじめる前に師匠からいただいた言葉は「丁寧に」と
いう言葉だった。

丁寧に(生きる)ことに対し何かを始めなければ性格からして
流されてしまう。
着物や帯づくりを通じて毎日まいにち「光の色」を見て経験を
続けた師匠の言う「丁寧に」はなんだろうか、ならば何か色の
勉強をしようとこの色字典をはじめてみたのである。

何日か前にこれを終えたらささやかな「丁寧」に自らのお祝い
をしようと企んでいた。
けれども世の中は変わり、丁寧なる道はさらに遠くなった。
きっと師匠は「もっと丁寧に」とおっしゃるだろうと思う。
人生とは修行の道である。道はまだ中途である。

世は「暗黒色」に覆われている。
けれども振り返り、元に戻れば「桜色」がそこに来ているのだ
とも知る。

次に「洋色」という色の道がありその道は285日の道である。
和も極めずして洋を語るかと云うなかれ、まだ「丁寧に」が
わからぬのだ。

何かに夢中になっていれば苦しいことから一瞬逃れられるのだ
と云うが、道を歩くのも修行という苦行でもある。
けれど色を見つけ歩く旅はまだ続くのだと新しいドアを開けた
いと思う。

まずは日本の伝統色の道を「毎日」という丁寧を行ってみた。
さて次はどんな丁寧ができるだろうと考えている。

最後の色が「暗黒色」、師匠は大黒屋さん。考え落ちれば桜色
の手前にいるのだと思っています。

師匠ありがとうございます。


 

桑の実色くわのみいろ

カテゴリー │色字典



桑と言えば「お蚕さん」を養う葉を繁らせると知っている。
その桑は初夏に美しく美味しい実をつけるのである。

日本の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦してい
ます。

いつもの公園はもう何年も定点観測をした樹木公園である。
毎日歩いている頃もあった、時々その季節の花を思い出して再
会をしようと向かったこともあった。
いつもの花があればうれしく、どんなに通っても気づかなかっ
た新しい気づきとの出会いもあったのです。

丸い大きな花壇の向こう側、実のなる木のゾーンの隅に蔓が巻
きついた木がありす。
散策路からはちょっと中に入りすぎて見過ごしてしまう奥の木
です。

ふと気づいたのは初夏のこと、そこに赤く黒く実っていた木い
ちごを見つけた。そしてその実を食べてみたのです。

桑の実は熟れると赤黒くなる。母からいつか聞いたように桑の
実ややまももの実は子供たちのおやつになっていた実なのです。

木いちごのような実は甘酸っぱい初夏の味がします。
誰もが楽しむ公園に実る実は決して一人のものではありません
からそっと一粒を含んだのです。

どんなことが起きようとも植物たちは私たちにその一生に似た
一年を見せてくれる。それを見ては私たちは自分たちの人生に
なぞらえているのです。

今年もきっと桑の実の頃がやってきます。
私たちは何も変わらず明日のために実を育てる植物に指針を見
つけたり勇気をもらったりもする。

今年は公園で何も変わらない平和な日を迎えることはできませ
んが、植物たちはそれでも何も変わらず生きることを教えてく
れるのです。



 

鉄色てついろ

カテゴリー │色字典



もう少しだ、マラソンランナーになぞらえるほどのがんばりに
は遠く及ばないものの465色の和色を旅し語るこの目論見も今
日を含めて3日となった。
ささやかに自分にご褒美をと考えていた矢先である。

日本の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦してい
ます。

鉄は産業の基幹である。国の成長に欠かせない建設の証しであ
り私たちの意志とも通ずる力強さの代名詞でもある。

国も人の心も揺れている。私たちはつかまりどこなき、落ち着
くところ定まらないことに不安を覚えている。
そのために語り、発信し自分の置き所を探している。

この事態に立ち指針を示してくれる人を望んでいる。
心をそこに向けて集め私たちの個の力をできるだけ注ぎ込みた
いと誰もが考えている。
それこそが私たちの強さであり、再び復興しようと力を合わせ
ることができる国民性だと信じている。

人が人と扱われないこと、遠い国の戦争を対岸の火事ととらえ
ていた私たちは現代にその事態を経験している。
戦争は知らずとも震災を知る世代となって経験をはじめる。
我らは再建を誓いあえる心を持つ国民である。

そのためにじっと待つ忍耐も動けば一致団結して力も物も金も
供出することをいとわない心を持っている。

私たちはできる。必ずできる。ゆえにまず最初の一歩を踏み出
す指針を作り示そうとしている。
心だけは応分などを越えて集めている。きっとできると覚悟を
決めている。


 

紫陽花ひとり

カテゴリー │花ばなしい



大きくて丸い葉を全て落としてしまう冬に、枝だけが広がる
紫陽花はパチンパチンと切られてしまいます。

とても強い紫陽花はそれでも春に新芽を出してきます。

空に伸びた枝にふっくら緑の葉芽を出せばもう大丈夫、切ら
れることもなく育つことができるのです。

テレビを視ることもない紫陽花は今年も枝と葉を伸ばします。
できることをするだけさ、と教えるように太陽に向かいます。
そして気づけば葉を広げ繁り、それが紫陽花だったと気づか
せてくれるのです。

雨の季節に咲くなんて運が悪い植物でしょうか。
冬の間にパチンパチン切られてしまうなんてかわいそうな植
物でしょうか。

けれども一年にひと季節、雨がザァーと降る日に「おや綺麗
だね」と気づいてもらえればよいと思っているのでしょうか。

たくさんの雨が降る季節があります。季節は一日いちにちの
積み重なりです。
昨日の紫陽花と今日の紫陽花は違うのだけれど雨の中でニッ
コリと丸く咲き続けるのです。

テレビばかり視て悲しんでいると先のことを忘れちゃうぞ
と紫陽花に叱られるかもしれません。
でも何かしたいんだと言ったら、足を地につけていなければ
いけないよとも教えてくれるでしょうか。

雨の中でだって咲くことができるんだよ、紫陽花は教えてい
るのでしょう。小さい芽だってあの花のために育てているん
だよと知らせてくれるのでしょう。

上をむいて行くことが君ができることじゃないかとも教えて
くれています。誰も晴ればかりじゃないんだよとも教えてく
れます。

紫陽花は昨日より少しだけ太陽に近くなっています。
君ができることはまずは自分のことなのさと教えています。
私たちの花もきっと咲くさと教えています。


 

金色こんじき

カテゴリー │色字典



ご褒美に金貨を一枚いただきました。外国の少年冒険小説に出
てくる金貨、もちろん今でも買うことができるのだが宝物には
金貨がつきものである。

日本の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦してい
ます。

お話の世界には宝物話が溢れている、絵空話ながら埋蔵金など
と聞けば心ときめいてしまう、日本なら大判小判がザクザクと
いう話である。

金は貴重なものながらその姿としては金貨や小判に表される。
諸民は見ることもないからその溢れるほどの財宝が夢として語
られる。民話、お話、小説でも語られる諸民の夢である。

民話には長者話が多く残されています。まじめに働いている決
して恵まれた生活でない者が信心の末に授けられるものが宝で
あり、形として大判小判が下されるのである。

天福地福という話があります。正直もの天から授かる福の夢を
見る。ところが地から宝物を掘り出してしまう。
これは地福だからと戻せば隣の者が掘り起こしてみると瓶には
ゴミのようなものが入っている。

怒った隣人は正直者の屋根をはがしてそのゴミを放り込むと
それが黄金となって降り注ぎ長者になるという話である。

諸民は多くの黄金なる宝物を得ることはないが想像の中では
勤勉と信心の末に福を授かるという寓話である。


 

赭そほ

カテゴリー │色字典



浜松は広い天竜川の扇状平地に古戦場としても知られる三方原
大地が迫る土地である。

日本の伝統色のその色と名前を見て何が書けるかに挑戦してい
ます。

赭(そほ)とは赤土のことであり三方原は赤土に覆われたた土
地である。
何年か写真散歩としてカメラを持って毎日過ごしていた。
花散歩というようなもので道端の花を撮ってはこのブログに載
せていた。そして気づくことがありました。

扇状地である平地とは三方原の赤土は植生が違う。
花でも畑の野菜花を好んでいるから三方原の野菜花が違うこと
に気づく、もとより栽培されている野菜が違うのです。

野菜の花はじつは種とりや放置された畑で咲いている。
菜の花のような花を見つければそれはブロッコリーなどの花で
あり、収穫されないで放置された果てである。

畑一面ならばそれは種とり用なのだろうかとも考えてみる。

赤土は荒地のように乾いてゆく、そこに灌漑して畑を作る。
その土地にむいた野菜が植えられるのである。

栗畑がありその魅力的な実をとりたいとも思う、李下に正さな
くともそのイガは下に落ちている。
道路に落ちているものならば拾っても罪になるまいと思いなが
らそうせずに数年過ぎている。

赭の放置された畑にはまるでハーブのような野草が育ち、その
土の色に痩せて育つ緑もまた美しいとも思う。
台地を上れば見えてくる景色はまるで違うのである。