同じ火で心炙り

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同じ火で心炙り

兄弟分の店へ行けば、頭から湯気を出す勢いで息巻いている。

「どうしたい兄ぃ?」と聞けば仕入れ先候補として訪れた問屋でとんでも
ない人に会い、心を乱されたと言う。

まっつぐな男は己の信じた道を一歩、半歩と歩み、周りの心を集め、それ
でも小心なまでに確かめ確かめ歩く。
その気持ちうれしくて、人が少しづつ集まりつつある。
歩みは遅くとも、確かに地を踏み、一足飛びなどは考えないのです。

「聞いとくれっ」

よき品をお客さまの為に選び、それも一品ごとオーダーまでしたいという
のが兄ぃの考え方です。
確かな筋でお付き合いする問屋には本物であるがゆえに、確かめ確かめ
で品をつくり、奢った価格を付けずむしろ謙虚に売値まで心配する心があ
るという。

しかしながら新たに訪れた問屋は違い、京都というブランドの衣を着た魑
魅魍魎だという。

お客さまのことより商売優先で高く売りつけるという論理で商売を語られた。
語る内容は”騙り”なのだそうだ。

京都の伝統は受け継がれてきた職人の心をまとった町として私たちを惹き
つけ尊敬されている。
その心あればこそ築き伝えられる心が、苔むす庭や古寺を持つ古都の魅力
なのだ。

私たちは”観光”という言葉や”みやげ”にある種の”あざとさ”があることを
知る。

観光土産屋さんのレベルを知り、納得で購入するものも多いのだけれど、
確かな品物を見合うだけの金額を払い心の財産とする見識も持つ。
けれども、それは店に続く伝統を守る良心に拠るものなのである。

「土産だな」

多くの伝統土産や名店の疑惑がとりあげられるのは、ほとんどが内部告発
だと言う。
心なくしてお客さまをひきつけるものなしと、良心が告発したものである。

商売と利益の論理は売る側にあると決めれば品は単なる手段でしかない。
一個、一枚に心配らずして多くを売れるはずがないものを、騙りで商ってし
まう者があると言う。

兄ぃの店は大量に仕入れて多くに同じものを供する店ではない。
一個、一枚をつくる為に学び、見聞し、自らの中で消化して生まれるものを
試してつくり、先人や身内に相談してはその出来を確かめ、さらに値つけを
考えて置かれている。

一個、一枚に考えと学び、作り手とのやりとり、出来上がりの喜びを感じて
作り、広げようとしている。

以前、今でいえばセレクトショップみたいなものだな、と言うと気に入らない
と言う。

ならば、スタイルじゃどうだ、店のブランドみたいだろうと言えば違うと言う。

次に言った時、仁王立ちになって「好みじゃどうだ」と笑った顔を覚えている。

品物をつくるのは人である、どう役に立つものをどう作り、作ったものを我が
好みの範囲だと言い切って提案することを「好み」と言う。

一歩一歩進むならば、大風呂敷を広げた商売はできねぇ、自分がこれだっ
と思うものを突き詰めて作らせてみたい。

お感じのとおり、これは「ぶん屋」の話であります。

かくして「ぶん屋好み」という店のあり方が決まりました。

兄ぃ、イチローちゃんだ君だなんて呼び合っておりますが、ぶん屋は一歳違
いの年上であります。

何ゆえつきあうかは、物と心への真剣さ、まがいもの、騙りものへの怒りを
持ち、憤慨し、聞いとくれっと己の道で出会った魑魅魍魎に怒り、俺は遅く
てもいいっ!と本物を目指す心に惚れるからであります。

清流を泳ぐヤマメは美しく、穢れを知らぬ魚であります。
自然の川でこれを釣るのはたいそう難しいそうであります。

ぶん屋は流れはじめの小さな川であります、小さな店という小さな流れを
見つけて美しいヤマメを育てようとしています。

ヤマメを一匹一匹丹精をこめ、愛情を持って育て、工夫をして育てるには
川の中で一所に泳ぎたいほどなのだとと言う。

大きな商いの川には大きな淀みもあり、大切なヤマメと一所に深く汚れた
淵を覗くこともある。

「ゆるせねえ」、育てたヤマメと共に、その水を飲まず、二度と近づかぬよ
う話す男がいる。

ぶん屋は百貨店ではない、小さな本物の稚魚をぶん屋という小さな川の
で育て、それを眺めてくれる人に感謝しながら、ひれの確かなこと、身の
うつくしきこと、汚れ無き水を湛えている川で育ったことを確かめてもらお
うとしている。

一緒に泳ぎてぇな、そう思わせる男なのであります。

なんだか、伝染して悪しきものを振り払い、鮮烈なる水を泳ごうと決心す
る。

小さな川の流れは確かにある。
その確かな川を仲間と共に泳いでゆく。
小さくても、ヤマメは急流に立ち向かって泳ぐ魚である。

淀みなどに棲み、身を太らせようなどとは決して思わないのであります。

キラリと輝く心があるのです。


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海に祈る(2012-03-11 09:15)


 
この記事へのコメント
ぶん屋さん・・今回の京都は色々感じたようですね

うまく言えないけれど
ぶん屋さんに置いてある品(しな)は
商品なんだけど・・「心」とも感じます

私個人では勝手に「ぶん屋ブランド」って思ってますけどね(^^♪
Posted by すし屋の姉さん(^^♪すし屋の姉さん(^^♪ at 2008年05月20日 16:59
イチローさん、いつもありがとうございます。
商品を作るとき、自分のできる限りの丁寧さと
慎重さを心がけます。
毎回、誂えのものはとても勉強になります。
同じものを作る場合でも、慣れた作業にならないよう、
私にとっては10個のがま口のうちの1つでも、
お客様にとってはたった一つのぶん屋のがま口、
ということを忘れないように、と。

主人の眼鏡に適わぬ商品は置きません。
たとい私が作ったものでも同じことです。

その心がけがお客様に届きますよう、毎日精進していきます。
これからも応援よろしくです!
Posted by あき at 2008年05月21日 10:59
すし屋の姐さん、こんにちは
そうですね、兄ぃが考えて考えてこしらえた品が
並びます。少しづつ広げてゆく品物、それは信じられるものですね。
Posted by イチローイチロー at 2008年05月21日 16:32
あき姐さん、昨晩はごちそうさまでした。
心がけは品に出る、だから人にぶん屋に行け、相談しろと言うことができます。
品は人がつくるもの、まずはぶん屋さんご夫婦を知ることでファンが増えていきます。
確かな品が裏打ちしてファンを増やしていきますね。
Posted by イチローイチロー at 2008年05月21日 16:34
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