2008年07月21日16:11
いつも通う公園には実のなる植物を楽しませてくれる畑があります。
この季節に楽しませてくれるのはこれ、さて何でしょう、きっと去年と同じ
”へちま”だと思うんです。
ぶらありとぶら下がっておりました。
時々ね、伝える仕事をしていて思うんですが、一人の目がみんなの目に
なるといいなと思うんです。
ブログをはじめて、”気づき”と言う言葉を知りました。
仲間の”ラッピングとお花のお話”を書いているラップスさんがよく使う言
葉として知った、気づきがブログにはあるのです。
一人の気づきを伝えるのがブログならば、一人の目で見たことが広く伝
えることができる。
決して会社のホームページには載らないような出来事があるのです。
前にね、イチローさんは何でも結論まで書いてしまいますね、なんて言わ
れたことがあるのです。
ひとつのことに気づけば、どう感じてどうなのかと自分の心を書き、そんな
手法までお話してしまう。
それを”惜しい”とおっしゃるのです。
誰かに教えたり、活用をするめる仕事ならば、皆まで話してしまっては仕
事にならないよという意見をいただいたのです。
そうでしょうか?
僕がさまざまなものを見て、どんなことを感じ、それがどう自分に影響した
かを書くように、人それぞれ気づきも考え方も進め方も違います。
決して自分の経験を押し付けることもできないならば、これから出会う方
に合わせて経験をお話し、その方らしい進め方を生めばよいと思うのです。
人は互いに考え方や生き方が違いますが、どこかに共感を覚えることが
ある。
全てでなくとも、その人の一部分を経験に照らし合わせて共感をすること
がある。
共感部分は心通い合わせるところ、それ以外はまた別の刺激となるとこ
ろが人の出会いの大切な部分です。
その為には自分の気づきが誰かの心に響くようにと思いながら一所懸命
に書くのです。
誰かがこれは”へちま”ですよと言っていただくように書くのです。
へちまの子が産毛を光らせていたことを書くのです。
最近、仕事ブログ「SEAES(シイズ)な二人」も書き始めています。
ぜひ、お読みくださいね。
一人の目はみんなの目≫
カテゴリー │イチロー的ココロ
いつも通う公園には実のなる植物を楽しませてくれる畑があります。
この季節に楽しませてくれるのはこれ、さて何でしょう、きっと去年と同じ
”へちま”だと思うんです。
ぶらありとぶら下がっておりました。
時々ね、伝える仕事をしていて思うんですが、一人の目がみんなの目に
なるといいなと思うんです。
ブログをはじめて、”気づき”と言う言葉を知りました。
仲間の”ラッピングとお花のお話”を書いているラップスさんがよく使う言
葉として知った、気づきがブログにはあるのです。
一人の気づきを伝えるのがブログならば、一人の目で見たことが広く伝
えることができる。
決して会社のホームページには載らないような出来事があるのです。
前にね、イチローさんは何でも結論まで書いてしまいますね、なんて言わ
れたことがあるのです。
ひとつのことに気づけば、どう感じてどうなのかと自分の心を書き、そんな
手法までお話してしまう。
それを”惜しい”とおっしゃるのです。
誰かに教えたり、活用をするめる仕事ならば、皆まで話してしまっては仕
事にならないよという意見をいただいたのです。
そうでしょうか?
僕がさまざまなものを見て、どんなことを感じ、それがどう自分に影響した
かを書くように、人それぞれ気づきも考え方も進め方も違います。
決して自分の経験を押し付けることもできないならば、これから出会う方
に合わせて経験をお話し、その方らしい進め方を生めばよいと思うのです。
人は互いに考え方や生き方が違いますが、どこかに共感を覚えることが
ある。
全てでなくとも、その人の一部分を経験に照らし合わせて共感をすること
がある。
共感部分は心通い合わせるところ、それ以外はまた別の刺激となるとこ
ろが人の出会いの大切な部分です。
その為には自分の気づきが誰かの心に響くようにと思いながら一所懸命
に書くのです。
誰かがこれは”へちま”ですよと言っていただくように書くのです。
へちまの子が産毛を光らせていたことを書くのです。
最近、仕事ブログ「SEAES(シイズ)な二人」も書き始めています。
ぜひ、お読みくださいね。